イタリアから北アフリカへの補給の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 01:04 UTC 版)
「クルセーダー作戦」の記事における「イタリアから北アフリカへの補給の状況」の解説
1940年10月にシチリア島へ配備されたドイツ空軍第10航空軍団により、マルタ島を基地としていたイギリス海、空軍はその行動を阻害され、枢軸国軍のイタリアから北アフリカへの補給が順調に行なわれるようになった。けれども、対ソ連戦争を重視したヒトラーにより、第10航空軍団が東部戦線へ投入されてからは、マルタ島を基地としたイギリス海、空軍は、1941年末まで枢軸国軍の兵員及び物資輸送に対する脅威となっていた。 この被害の状況は、1941年の7-8月で 27,000 t の物資を喪失し、これは1940年6月から1年間に喪失した分に匹敵したものだった。また、それ以降も被害は増大し 9月には、補充兵員13,000名のうち 6,000名、物資 27,000 t を喪失した。 10月には、補充兵員 600名、物資 19,000 t を喪失した。 11月には、物資 50,000 t を喪失した。潜水艦による商船の被害は10-12月でドイツ、イタリアを合わせて 25隻 79,218 t が撃沈された。 このような状況下で、枢軸国軍の輸送船舶の利用については、その積荷についてドイツ軍とイタリア軍が折半することとなっていた。このため、ドイツ軍が増強されるにつれ、補給の不公平が顕在化することとなった。
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