イルジー・ビエロフラーヴェクとは? わかりやすく解説

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イルジー・ビエロフラーヴェク

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/11 14:06 UTC 版)

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イルジー・ビエロフラーヴェク
Jiří Bělohlávek at the Suntory Hall in Tokyo, October 2013
基本情報
生誕 (1946-02-24) 1946年2月24日
出身地 チェコスロバキア プラハ
死没 (2017-05-31) 2017年5月31日(71歳没)
学歴 プラハ音楽院
ジャンル クラシック音楽
職業 ヴァイオリニスト
担当楽器 ヴァイオリン
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イルジー・ビエロフラーヴェク(Jiří Bělohlávek, 1946年2月24日 - 2017年5月31日[1] )は、チェコ指揮者

略歴

プラハ生まれ。5歳からピアノを、11歳からチェロを学んだ。14歳でプラハ音楽院に入学、ボフミール・リシュカと、フランティシェク・ヘルトルに指揮法を学んだ。1967年にプエルラールム・プラゲンシス交響楽団という女性だけで組織されたオーケストラを指揮し、指揮者デビューした。1968年セルジュ・チェリビダッケの下で研鑽を積んだ。1970年にオムロツ指揮者コンクールで第1位を獲得、同年からチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の副指揮者となり、1973年までヴァーツラフ・ノイマンのアシスタントを務めた。1973年ブルノ国立フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者に就任した。1974年プラハ交響楽団とともに初来日し、以後たびたび来日を重ね、国内オーケストラとの共演も多い。1975年のカラヤン国際指揮者コンクールで入賞。1977年にはプラハ交響楽団の首席指揮者となった。

1990年にチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督兼首席指揮者の地位を得た。民主化後の新生チェコ・フィルとして期待されたが、団員による投票の結果1993年にドイツ人指揮者ゲルト・アルブレヒトにその座を明け渡した[2]。その後、プラハ国民劇場の音楽監督に就任している。2006年7月からBBC交響楽団の首席指揮者を務めていたが、2012年から再度チェコ・フィルの首席指揮者に返り咲いた。客演活動も頻繁で、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団には頻繁に客演するほか、ベルリン・フィルやボストン交響楽団など、メジャー・オーケストラを頻繁に指揮している。

プラハ芸術アカデミーではヤクブ・フルシャ、トマーシュ・ハヌス、トマーシュ・ネトピルらに指揮を教えた[2]。またイタリアで活動する日本の若手指揮者にも指揮を教えた。

2017年5月31日に死去。前年にチェコ・フィルとドヴォルザークスターバト・マーテルを録音しており、追悼演奏会では弟子だったヤクブ・フルシャの指揮で演奏された。

演奏・レパートリー

ノイマンやズデニェク・コシュラーといった往年の名指揮者と比較され、過小評価されがちであるが、オーケストラを歌わせるテクニックは引けを取らない。ドヴォルザークブラームススメタナといった、チェコ人指揮者が伝統的に得意とする作曲家の作品をレパートリーとして演奏するが、その中でもマルティヌーの作品には特別な共感を持つと、自身も認めている。レコーディングはスプラフォンを中心に行い、相当数をリリースしている。

脚注

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先代:
インドジフ・ロハン
プラハ交響楽団
首席指揮者
1977 - 1990
次代:
ペトル・アルトリフテル
先代:
オンドレイ・レナールト
スロヴァキア・フィルハーモニー管弦楽団
首席指揮者
1993 - 1994
次代:
ヴラディミール・ヴァーレク
先代:
 
プラハ・フィルハーモニア
創設者・初代芸術監督
1994 - 2005
次代:
カスパル・ツェーンダー




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