オンドレイ・レナールトとは? わかりやすく解説

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オンドレイ・レナールト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/11 14:14 UTC 版)

オンドレイ・レナールト
生誕 (1942-09-09) 1942年9月9日(82歳)
出身地 スロバキア共和国クロムパヒ英語版
ジャンル クラシック音楽
職業 指揮者

オンドレイ・レナールト(Ondrej Lenárd, 1942年9月9日 - )は、スロヴァキア指揮者

経歴

クロムパヒ英語版の生まれ。ブラティスラヴァの学校で学び、スロヴァキア国立歌劇場などで研鑽を重ねる。1974年、ブダペスト国際指揮者コンクールで第3位となる[1]

1984年から1986年までスロヴァキア国立歌劇場首席指揮者を務める一方、ウィーン国立歌劇場、ヒューストン・オペラをはじめ世界の主要な歌劇場でたびたび客演指揮をする。1991年から2001年までスロヴァキア・フィルハーモニー管弦楽団で首席指揮者・音楽監督を務めた。その在任の間に、1996年ブラティスラヴァ国際音楽祭のオープニング・コンサートでマーラー交響曲第8番『千人の交響曲』を同地初演し、その功績によりスロヴァキアの「今年の国民大賞」を受賞。1997年にはスロヴァキア国立歌劇場オペラ・バレエ音楽総監督を務め、『トスカ』の新プロダクションや同劇場日本公演を成功へと導き、その手腕は高く評価されている。

また、ヴラディミール・ヴァーレクの後任として2011年から2018年までプラハ放送交響楽団の首席指揮者を、2019年からはスロヴァキア放送交響楽団の首席指揮者を再び務める[2]

日本との関係では、1988年から新星日本交響楽団(2001年に現東京フィルハーモニー交響楽団と合併)の首席客演指揮者、1993年から首席指揮者・芸術顧問を務めるなどしており、日本でもおなじみである。現在同楽団の名誉指揮者である。

スメタナドヴォルザークを得意としているのは勿論だが、スロヴァキア・フィルとの来日公演や在京オケとの共演したマーラーチャイコフスキーも非常に充実した演奏を披露している。

脚注

  1. ^ その年の1位は小林研一郎であった。
  2. ^ ブラティスラバ発 〓 スロヴァキア放送響激震、レナルトが復帰”. 月刊音楽祭. 楽壇ニュース. 2024年4月27日閲覧。
先代
?
スロヴァキア放送交響楽団首席指揮者
1977年 - 1990年
2019年 -
次代
?
先代
?
スロヴァキア国立歌劇場音楽監督
1984年 - 1986年
次代
?
先代
アルド・チェッカート
スロヴァキア・フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者
1991年 - 2001年
次代
イルジー・ビエロフラーヴェク
先代
佐藤功太郎
新星日本交響楽団首席客演指揮者、首席指揮者
1988年 - 1999年
次代
パスカル・ヴェロ
先代
ヴラディミール・ヴァーレク
プラハ放送交響楽団首席指揮者
2011年 - 2018年
次代
アレクサンダー・リープライヒ



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