アーマダ・センター
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 06:15 UTC 版)
「バントリー・ハウス」の記事における「アーマダ・センター」の解説
1796年、セオバルド・ウォルフェ・トーンと統一アイルランド人連盟は、オッシュ将軍率いるおびただしい数のフランス大型艦隊を上陸させようと試みた。これにはイギリス人を追放し、アイルランドの共和国を設立する意図があった。大型艦隊は50隻の戦艦と1万5千人の兵で構成されていた。この侵略を聞きつけたリチャード・ホワイトは、彼と貸借人達がイギリスの王権に忠実であるとして、上陸に対抗するため市民軍を整備した。この時の軍需品は、安全に保管するためバントリー・ハウスに貯蔵されている。湾頭には侵略を知らせる警戒隊も送られた。しかし、この時天候がかなり厳しい状況で、船と船の連絡さえ難局を極めていたため、結局フランス艦隊は上陸の機会を得ることがなかった。この際、10隻の船が失われている。この失われた船の中には艦船「スュルヴェイアンテ (The Surveillante) 」が含まれており、ほぼ200年もの間、バントリー湾の底へ沈んだままとなった。 その後、船は1982年に発見される。1985年、船は国の遺物として公表され、船自体とその中にあるものに対し、発掘や保存・展示が開始された。この展示するアーマダ(armada、大型艦隊)・センターは、西側からフランスが上陸しようとした話を陳列し、スュルヴェイアンテ号の6分の1スケールの模型やバントリー湾の中で回収された残骸から人工物を展示している。他にもセンターでは、公開記録からの引用や等身大の像と共に、セオバルド・ウォルフェ・トーンについての説明も行われている。また、観光客はアーマダ・センターのサウンド・ツアーを楽しむことも可能である。
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