アーニー・スチュワートとは? わかりやすく解説

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アーニー・スチュワート

(アーネスト・ステュワート から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/20 02:41 UTC 版)

アーニー・スチュワート
名前
本名 アーネスト・スチュワート
ラテン文字 Earnie Stewart
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
生年月日 (1969-03-28) 1969年3月28日(55歳)
出身地 オランダ北ブラバント州フェヘル
身長 175cm
選手情報
ポジション MF
ユース
1980-1987 UDI'19
1987-1988 VVVフェンロー
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1988-1990 VVVフェンロー 62 (15)
1990-1996 ヴィレムII 170 (49)
1996-2003 NACブレダ 199 (50)
2003-2004 D.C. ユナイテッド 47 (4)
2004-2005 VVVフェンロー 6 (1)
代表歴
1990-2004  アメリカ合衆国 101 (17)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アーネスト・スチュワートEarnest Stewart1969年3月28日 - )は、アメリカ合衆国の元サッカー選手。元アメリカ合衆国代表。ポジションはMF

クラブ経歴

父親はアフリカ系アメリカ人アメリカ空軍のパイロット、母親はオランダ人。オランダ北ブラバント州に生まれ育ち、1980年にUDI'19の下部組織に入団した。

1987年にVVVフェンローの下部組織に移籍すると翌年プロ契約を締結。1988-89シーズン、エールディヴィジで初出場を果たしたものの、このシーズンをクラブは17位で終え降格、翌シーズンはエールステ・ディヴィジでの出場となった。

1990年にエールディヴィジのヴィレムIIに移籍、早速17得点し1990-91シーズンの得点ランキング3位につける活躍を見せた。6シーズン在籍し、合計59得点をチームに齎した。

1996年にNACブレダに移籍。1999年にはエールステ・ディヴィジに降格となったが彼は残留し、翌2000年のエールディヴィジ復帰に貢献した。NACブレダでも合計6シーズン在籍した。

2003年1月には生まれ育ったオランダを離れ、メジャーリーグサッカーD.C. ユナイテッドに移籍。2004シーズンにはMLSカップのタイトルを獲得した。しかし、1990年代初頭に見せていた輝かしい得点能力を見せる事は出来ず、2シーズンでリーグでは僅か4得点、プレーオフで1得点に止まった。2004シーズン終了とともに退団し、プロデビューしたVVVフェンローに復帰し翌2005年選手を引退した。

選手としては合計115得点、そのうちオランダで111得点をあげ、アメリカ合衆国人として海外のクラブで最も得点を挙げた選手となった。

代表経歴

1990年末にアメリカ合衆国代表としてポルトガル代表戦に出場し、代表初出場。その後レギュラーに定着し、1994 FIFAワールドカップでは4試合全てで先発出場、グループステージでコロンビア代表から彼は得点をあげ、アメリカ合衆国代表に1950 FIFAワールドカップ以来のワールドカップでの勝利を齎した。その後、1998 FIFAワールドカップ2002 FIFAワールドカップにもアメリカ合衆国代表として出場し、アメリカ合衆国男子代表としてワールドカップ3大会出場した僅か5人のうちの1人となった。

2004年の2006 FIFAワールドカップ・北中米カリブ海予選グレナダ代表戦で代表出場100試合を達成、FIFAセンチュリークラブに登録された[1]

引退後

2005年に選手を引退した後、VVVフェンローでテクニカル・ディレクターに就任した。翌2006年5月14日にはNACブレダのテクニカル・ディレクターに就任。

2010年6月にはAZアルクマールのディレクター・オブ・フットボール・アフェアズに就任。PSVアイントホーフェンに移籍したマルセル・ブランズの後任を務めた。なお、NACブレダで務めていたテクニカル・ディレクターの職務については合意の上で辞職した[2]

彼は「米国に帰ってサッカーの重要性を伝えたい」とも発言していたため[3]、米国に渡って2015年10月26日にフィラデルフィア・ユニオンからスポーツ・ディレクターに就任する事が発表された[4]

個人成績

2017年3月29日現在[5][6]
国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 期間通算
出場 得点 出場 得点
オランダ リーグ戦 期間通算
1988-89 VVV エール 27 3 27 3
1989-90 エールステ 35 12 35 12
1990-91 ヴィレムII エール 33 17 33 17
1991-92 33 8 33 8
1992-93 22 4 22 4
1993-94 32 7 32 7
1994-95 32 10 32 10
1995-96 18 3 18 3
1996-97 NAC 28 9 28 9
1997-98 30 6 30 6
1998-99 28 7 28 7
1999-00 エールステ 29 8 29 8
2000-01 エール 28 8 28 8
2001-02 31 10 31 10
2002-03 15 2 15 2
アメリカ合衆国 リーグ戦 期間通算
2003 D.C.ユナイテッド MLS 21 1 21 1
2004 26 3 26 3
オランダ リーグ戦 期間通算
2004-05 VVV エール 6 1 6 1
通算 オランダ エール 363 95 363 95
オランダ エールステ 64 20 64 20
アメリカ合衆国 MLS 47 4 47 4
総通算 474 119 474 119

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 101試合 17得点(1990年-2004年)[7]


アメリカ代表 国際Aマッチ
出場 得点
1990 1 0
1991 0 0
1992 7 0
1993 6 2
1994 7 1
1995 9 1
1996 5 0
1997 7 1
1998 9 1
1999 5 0
2000 8 4
2001 10 5
2002 10 0
2003 12 2
2004 4 0
通算 101 17

得点

# 日附 場所 対戦相手 得点 結果 大会
1 1993年6月13日 シカゴ  ドイツ 2–4 3–4 USカップ1993
2 1993年8月31日 レイキャビク  アイスランド 1–0 1–0 親善試合
3 1994年6月22日 パサデナ  コロンビア 2–0 2-1 1994 FIFAワールドカップ
4 1995年3月25日 ダラス  ウルグアイ 2–0 2–2 親善試合
5 1997年3月16日 パロアルト  カナダ 3–0 3-0 1998 FIFAワールドカップ・北中米カリブ海予選
6 1998年5月24日 ポートランド  クウェート 1–0 2-0 親善試合
7 2000年6月3日 ワシントンD.C.  南アフリカ共和国 4–0 4-0 USカップ2000
8 2000年7月23日 サンホセ  コスタリカ 1–1 1–2 2002 FIFAワールドカップ・北中米カリブ海予選
9 2000年8月16日 フォックスボロ  バルバドス 6–0 7-0
10 2000年11月15日 ウォーターフォード  バルバドス 2–0 4-0
11 2001年2月28日 コロンバス  メキシコ 2–0 2–0
12 2001年3月28日 サン・ペドロ・スラ  ホンジュラス 1–0 2-1
13 2001年6月21日 フォックスボロ  トリニダード・トバゴ 2–0 2–0
14 2001年9月1日 ワシントンD.C.  ホンジュラス 1–0 2–3
15 2–3
16 2003年7月6日 コロンバス  パラグアイ 2–0 2–0 親善試合
17 2003年7月2日 マイアミ  コスタリカ 2–2 3–2 2003 CONCACAFゴールドカップ

出典

  1. ^ Century Club 290715” (2015年7月29日). 2017年4月6日閲覧。
  2. ^ [1]
  3. ^ [2]
  4. ^ [3]
  5. ^ http://www.world-soccer.org/p-25053.htm
  6. ^ Earnie Stewart – U.S. Soccer Media Guide”. 2013 USMNT Media Guide. 2013年12月23日閲覧。
  7. ^ アーニー・スチュワート - National-Football-Teams.com

外部リンク




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