アーティチョーク・キング
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/13 20:12 UTC 版)
「チロ・テラノヴァ」の記事における「アーティチョーク・キング」の解説
イタリア移民の食卓に不可欠なアーティチョーク(アザミ)の市場に目をつけ、貨物列車でニューヨークに運ばれるカリフォルニア産アーティチョークを買い占め、30%-40%のプレミアムを付けて業者に売りさばいた。従わない業者に制裁を加え、大儲けした。モレロの紙幣偽造と異なり合法で、長らく一家の収入源の1つになり、アーティチョーク・キングと呼ばれた。 モレロが暴力や殺人に訴えたのに対し、チロは役人や政治家に取り入り、賄賂漬けにして警察の追及を遮断することを本領とした。ライバルギャングを当局に内通して罠にはめた。ジュセッペ・モレロの収監後の一家は派閥争いに突入するが、ビジネス自体は堅調で、車を何台も所有し、イーストハーレムを支配した。1916年、ブルックリン区のナポリ系ギャング、ペリグリーノ・モラノらにニコラスを殺されると、兄ヴィンセントと共に一家を率いて全面戦争に突入し、何度も命を狙われた(マフィア-カモッラ戦争)。一時カモッラ勢に押されてハーレムの縄張りを奪われたが、1917年カモッラが一斉検挙で組織崩壊すると、奪い返した。1918年、ジョー・ディマルコ殺害共謀容疑で起訴されたが無罪となった。
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