アントニ・ガウディ
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アントニ・ガウディ(カタルーニャ語 :Antoni Gaudí i Cornet [ənˈtoni gəu̯ˈði i kuɾˈnɛt]、洗礼名:Antoni Plàcid Guillem Gaudí i Cornet、1852年6月25日 - 1926年6月10日)は、スペイン、カタルーニャ出身の建築家。19世紀から20世紀にかけてのモデルニスモ(アール・ヌーヴォー)期のバルセロナを中心に活動した。サグラダ・ファミリア(聖家族教会)・グエル公園(1900 - 1914年)・カサ・ミラ(1906 - 1910年)をはじめとしたその作品はアントニ・ガウディの作品群として1984年ユネスコの世界遺産に登録されている。
- ^ ファン・バセゴダ・ノネル『ガウディ』美術公論社、1992年、p. 25.
- ^ カスティーリャ語式の発音に準じたコルネットの表記もある。
- ^ バセゴダ、pp. 22-29.
- ^ ロベール・デシャルヌ、クロヴィス・プレヴォー『ガウディ――芸術的・宗教的ヴィジョン』鹿島出版会、1993年、p. 18.
- ^ ファン・ヘンスベルヘン『伝記ガウディ』文藝春秋、2003年、p. 28.
- ^ a b c 鳥居徳敏『アントニオ・ガウディ』SD選書197、鹿島出版会、1985年、pp. 48-50.
- ^ 入江正之『ガウディの言葉』彰国社、1991年、p. 116。
- ^ ファン・ヘンスベルヘン、pp. 42-43.
- ^ 中山公男「略伝――人と作品」、中山・磯崎・粟津編『ガウディ全作品1 芸術と建築』六耀社、1984年、pp. 424-425.後年、外交官としてアフリカやアジアを訪れ、エジプト学にもかかわったトダは、実際にポブレー修道院の再建に取り組んだ。Wikipediaスペイン語版、Eduardo Toda y Güellを参照。
- ^ a b c 鳥居徳敏『ガウディの建築』鹿島出版会、1987年、200,205,208頁。
- ^ 岡部明子『バルセロナ』中央公論新社 《中公新書 2071》 2010年 84ページ
- ^ Capilla, Antoni (2005年6月). “Ruta del Modernisme de Barcelona” (カタルーニャ語). Ruta del Modernisme. Institut Municipal del Paisatge Urbà i la Qualitat de Vida (IMPUiQV), Ajuntament de Barcelona. 2007年10月19日閲覧。もっとも、この逸話は信憑性に欠ける伝説とする意見もある。cf. 鳥居、p. 75。
- ^ 本田榮二『ビジュアル解説 インテリアの歴史』秀和システム、2011、294頁。
- ^ パウ・エストラダ 著、宇野和美 訳『ガウディさんとドラゴンの街』教育評論社、2023年12月14日、38頁。
- ^ 新建築社『NHK 夢の美術館 世界の名建築100選』新建築社、2008年、224頁。ISBN 978-4-7869-0219-2。
- ^ 外尾悦郎『ガウディの伝言』光文社新書、2006年、pp. 33-34.
- ^ 田澤耕『物語 カタルーニャの歴史』中央公論新社、2019年、216頁。
- ^ 入江正之『ガウディ 地中海が生んだ天才建築家』河出書房新社、2007年、69頁。
- ^ ジョージ・オーウェル 著、都築忠七 訳『カタロニア賛歌』岩波書店、1992年、250-251頁。
- 1 アントニ・ガウディとは
- 2 アントニ・ガウディの概要
- 3 信仰と思想
- 4 参考文献
- 5 外部リンク
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