アントーニオ・モリナーリとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > アントーニオ・モリナーリの意味・解説 

アントーニオ・モリナーリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/15 09:48 UTC 版)

アントーニオ・モリナーリ
Antonio Molinari
モリナーリ作『アレクサンダー大王の前のダリウスの家族』
生誕 1655年1月21日
ヴェネツィア
死没 1704年2月3日
ヴェネツィア

アントーニオ・モリナーリ(Antonio Molinari、1655年1月21日 - 1704年2月3日)はイタリア、バロック期のヴェネツィアの画家である。

略歴

ヴェネツィアで生まれた。父親のジョヴァンニ・モリナーリ(Giovanni Molinari)はピエトロ・デラ・ヴェッキア(Pietro Della Vecchia) の弟子で、あまり知られていない画家だった。父親の工房で学んだ後、アントニオ・ザンキ(Antonio Zanchi: 1631–1722)の工房で働いた。 アントニオ・ザンキやドイツ出身でヴェネツィアで働いていたヨハン・カール・ロト(Johann Carl Loth:1632–1698)のスタイルから影響を受けた。独立した画家になり、1678年に肖像画を描き、1678年から1681年は現在のクロアチアのマカルスカの修道院の壁画を描いた。

ヴェネツィアの公共施設の壁画を描くようになり、ローマの画家、建築家ピエトロ・ダ・コルトーナの影響を受けてその色使いは明るいものになった。1690年代にはベネツィアで重要な画家の一人となった。

弟子にはジョヴァンニ・バッティスタ・ピアッツェッタ(c.1683-1754)がいる。アンジェロ・トレヴィサーニ(Angelo Trevisani: c.1669-1753)やアントニオ・アリゴーニ(Antonio Arrigoni: c.1664-1730)、ジョバンニ・アントニオ・ペレグリーニ(Giovanni Antonio Pellegrini: 1675-1741)といった画家にも影響を与えたとされる。

作品

「ソロモンの審判」
スキピオの寛容」
「アダムとイブ」
Antonio Molinari - Cristo e l'adultera.jpg

参考文献

  • Rudolf Wittkower, Art and architecture in Italy. 1600-1750, Harmondsworth, Penguin Books 1980, pp. 349-350.
  • Federico De Martino, Antonio Molinari, in Dizionario biografico degli italiani, vol. 75, Roma, Istituto dell'Enciclopedia Italiana, 2011. URL consultato il 5 luglio 2017.



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  アントーニオ・モリナーリのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アントーニオ・モリナーリ」の関連用語

アントーニオ・モリナーリのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アントーニオ・モリナーリのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアントーニオ・モリナーリ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS