アントニオ・ベネディット・ダ・シルバとは? わかりやすく解説

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アントニオ・ベネディット・ダ・シルバ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/11 15:03 UTC 版)

トニーニョ
名前
本名 アントニオ・ベネディット・ダ・シルバ
Antônio Benedito da Silva
ラテン文字 Toninho
基本情報
国籍 ブラジル
生年月日 (1965-03-23) 1965年3月23日(59歳)
出身地 カンピーナス[1]
身長 186cm
体重 79kg
選手情報
ポジション FW / MF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1983-1984 キンゼ・デ・ジャウー
1985-1990 ポルトゥゲーザ
1990-1991 グアラニFC
1991 CRフラメンゴ 8 (0)
1991-1992 読売クラブ 22 (18)
1992-1996 清水エスパルス 79 (37)
1995 浦和レッドダイヤモンズ (loan) 26 (6)
1996 CRヴァスコ・ダ・ガマ 11 (2)
通算 146 (63)
代表歴
1989 ブラジル 1 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

トニーニョ(Toninho)こと、アントニオ・ベネディット・ダ・シルバ(Antônio Benedito da Silva、1965年3月23日 - )は、ブラジルサンパウロ州カンピーナス出身のプロサッカー選手。ポジションはフォワード、攻撃的ミッドフィールダー

略歴

16歳のときにキンゼ・デ・ジャウーでデビューし、17歳のときにポルトゥゲーザに移籍[1]。キンゼ・デ・ジャウーでは三浦知良とチームメートであった。1989年にはサンパウロ州選手権で得点王を獲得する活躍でブラジル代表に招集され、3月15日にあったエクアドル代表との親善試合で1キャップを記録した[2]。その後はグアラニフラメンゴに在籍[1]

三浦知良と友人関係であっとことで、三浦の父の仲介により[3]1991年夏に日本の読売クラブ(現 東京ヴェルディ)に移籍。デビュー戦となったJSLカップ中央防犯戦での5ゴールをはじめ[4]、同大会で10ゴールを挙げて読売クラブの優勝に貢献した[1]JSLの最終シーズンとなった1991-92シーズンには18得点を挙げ得点王に輝いた[5]

1992年、4月12日のゼロックスチャンピオンズカップ決勝のトヨタ自動車戦では、三浦知良の先制ゴールをアシスト、更に決勝ゴールを決めて優勝に貢献した[6]。しかしその後、ヴェルディからの契約延長要請を固辞して[4]清水エスパルスに移籍、ポジションはFWではなく攻撃的なMFを務めた。

1993年は開幕戦となった横浜フリューゲルス戦から3試合連続ゴールを決めるスタートを切るも、負傷のためほぼ1年棒に振った[7]

1994年の前期はクラブ史上初のハットトリックを決めるなど[4]、前期だけで16得点を挙げ[8]チームは優勝争いに絡んだが、シジマールの負傷もあり終盤で失速した。一方で、後期はロベルト・リベリーノへの監督交代劇もあり精彩を欠いた。

1995年宮本征勝が監督に就任すると、サントリーシリーズでは、堀池巧長谷川健太が序盤で負傷し戦線を離脱。そのためチームは低迷していたがトニーニョは11得点を挙げる働きを見せた。しかし、後期からサントスが加入、同シリーズ終了後、外国籍選手枠の関係もあり、半ば戦力外であることを言い渡されて浦和レッズに期限付き移籍した[9]。浦和では監督のホルガー・オジェックの発案でディフェンダーも務め[4]、古巣のエスパルスとの対戦では得点を挙げた。1996年には監督に就任したオズワルド・アルディレスの希望によりエスパルスに復帰したが[10]、怪我の影響で目立った活躍は出来なかった[10]。1996年5月1日、横浜マリノス戦のゴールは、Jリーグ30周年ベストゴールのテクニカル部門にもノミネートされた[11]

エピソード

自らの得点時に飛行機ポーズをとることで有名だったが、浦和時代には親会社(三菱自動車工業)が自動車会社である事から自動車ポーズをとった[4]

父親のダ・シルバはコリンチャンスヴァスコ・ダ・ガマなどでプレーした元ブラジル代表選手であり[1]、実弟のソニー・アンデルソンFCバルセロナASモナコなどの欧州のクラブに在籍した元ブラジル代表FWである[12]

個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯 オープン杯 期間通算
1985 ポルトゥゲーザ
1986
1987
1988
1989
1990 グアラニ
フラメンゴ
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
1991-92 読売 20 JSL1部 22 18 5 10 5 0 32 28
1992 清水 - J - 11 3 2 1 13 4
1993 6 3 0 0 0 0 6 3
1994 44 22 0 0 1 0 45 22
1995 25 11 - - 25 11
浦和 26 6 - 2 0 28 6
1996 清水 4 1 3 0 0 0 7 1
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯 オープン杯 期間通算
1996 ヴァスコ・ダ・ガマ
通算 ブラジル
日本 J 105 43 14 3 5 1 124 47
日本 JSL1部 22 18 5 10 5 0 32 28
総通算

その他の公式戦

タイトル

参考文献

  1. ^ a b c d e 「THE FOOTBALLER トニーニョ」『サッカーマガジン』 1993年7月8日号 NO.419、ベースボール・マガジン社、140-143頁。
  2. ^ J開幕みんなマネした「飛行機ポーズFW」は今…「ブラジルでカズと仲が良かった縁で」来日→愛されたトニーニョ58歳に直撃”. NUMBER (2023年6月18日). 2023年6月19日閲覧。
  3. ^ J開幕みんなマネした「飛行機ポーズFW」は今…「ブラジルでカズと仲が良かった縁で」来日→愛されたトニーニョ58歳に直撃 その4”. NUMBER (2023年6月18日). 2023年6月19日閲覧。
  4. ^ a b c d e 第82回 日本リーグ最後の得点王”. www.ninomiyasports.coml results. 2020年6月6日閲覧。
  5. ^ 1991年JSL最終成績”. japan football results. 2013年9月6日閲覧。
  6. ^ ストライカー (雑誌) 1992年6月号 学研 p.6-9
  7. ^ 週刊サッカーマガジン 1994年3月23日号 no.447 p.16-19 ベースボールマガジン社
  8. ^ 「JALの人が飛行機ポーズを喜んで…(笑)」「浦和ではパジェロを」“Jリーグバブル裏話”を懐かしのFWトニーニョ58歳が告白”. NUMBER (2023-618). 2023年6月19日閲覧。
  9. ^ 「JALの人が飛行機ポーズを喜んで…(笑)」「浦和ではパジェロを」“Jリーグバブル裏話”を懐かしのFWトニーニョ58歳が告白 その3”. NUMBER (2023-618). 2023年6月19日閲覧。
  10. ^ a b 「JALの人が飛行機ポーズを喜んで…(笑)」「浦和ではパジェロを」“Jリーグバブル裏話”を懐かしのFWトニーニョ58歳が告白 その4”. NUMBER (2023-618). 2023年6月19日閲覧。
  11. ^ J30 BEST AWARDS”. JLEAGUE. 2024年9月10日閲覧。
  12. ^ 第83回 トニーニョが感じたブラジルと欧州の違い”. www.ninomiyasports.coml results. 2020年6月6日閲覧。

関連項目

外部リンク





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