アメリカ式捕鯨の試み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 21:08 UTC 版)
幕末以来日本の捕鯨業は近代化が進まず、近海の鯨資源を他国に奪われる状態が続いていた。1888年(明治21年)勝山町の捕鯨団醍醐新兵衛組にピールセス発着銛を用いたアメリカ式捕鯨を指導し、伊豆大島近海でツチクジラ数頭の捕獲に成功した。これを事業化すべく、豊津村に日本水産会社が設立されたが、3年余りで解散すると、自ら資産を買い取り、官を辞して館山町に移住し、関沢水産製造所を設立した。 1892年(明治25年)11月外務省の嘱託で朝鮮慶尚道、全羅道、忠清道、京畿道、済州島での邦人漁業の状況を視察し、1893年(明治26年)3月帰国した。 1893年(明治26年)5月館山から長寿丸で金華山沖へ向かい、ジャパン・グランドと呼ばれた捕鯨場で捕鯨実験に参加し、日本人として初めてマッコウクジラ2頭を洋上で漁獲した。
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