アメリカでの枯葉剤健康被害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/09 16:15 UTC 版)
「枯葉剤」の記事における「アメリカでの枯葉剤健康被害」の解説
1984年、アメリカのベトナム帰還兵らが枯葉剤製造会社に対して集団訴訟を起こした。訴訟に加わった帰還兵らは4万人を超えた。しかし、裁判が審理入りする直前になり、突如原告代表者が会社側との和解を発表、製造会社側は枯葉剤の被害を認めぬまま原告に補償金1億8000万ドルを支払うことで同意した。裁判で帰還兵らの枯葉剤健康被害が公にされる事がないまま、帰還兵らの証言はお蔵入りとなったのである。この突然の和解を不服とした帰還兵や遺族らが1989年に再び集団訴訟をおこしているが、却下された。 1991年、アメリカの枯葉剤曝露帰還兵に対して救済法が成立し、15の疾病に枯葉剤との関連が認められた。ベトナム帰還兵の子供世代への健康被害調査も行われ、帰還兵の二分脊椎症の子供および女性帰還兵に限りその他の先天障害をもつ子供へも補償が認められた。しかしこれによって認められた枯葉剤の次世代への健康被害は限られたものであり、現在も多くの帰還兵の子供の疾病や先天障害は枯葉剤との関連が不明であるとされている。[誰によって?]
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