ものの種にぎればいのちひしめける
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春 |
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評 言 |
種袋には、草花のカラー写真が華やかに眼を引く。その袋を開けると、あまりにも小さな種が掌のなかで軽い。この軽い小さな種も命なのだ。 この句は病床で詠んだものだろう。草城は自身の命のようにこの種を見つめ、思わず握り締めたに違いない。「にぎればいのちひしめける」と「ものの種」に思いを託しているが、それは自分自身の生と死を見つめていることでもある。「結核」は死病だったと言われていた掲句の時代に、草城はどんな思いで病床から草花を見ていたのだろうか。 飽食の時代へと大きく変わり、医学の進歩はめざましいものがある。しかし看護師としての実感でいえば、医師は「検査値」だけで治療をする傾向となり、患者さんは検査結果の「数字」のみに振り回されているように思えてならない。いまの医療にもっとも欠けているのは、「心」ではないだろうか。心と命、それは切り離すことは出来ない。 日野草城は「ミヤコホテル」など、モダニストとしての印象が深いが、実は石田波郷とともに療養俳句の魁(さきがけ)でもあった。その波郷は 女患部屋にをとこの声や草城忌 石田波郷 と詠んでいる。「ものの種」の切なさはいまも変わらない。 草城句集(花氷) |
評 者 |
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備 考 |
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