みんなの党を離党
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2014年11月21日、みんなの党に離党届を提出。民主党・みんなの党の両党幹部は、杉本の民主党復党を検討するも、県連や地元議員らの反対を受ける。11月22日、杉本は記者会見し無所属での出馬を正式表明した。11月27日、民主党愛知県連は愛知10区の公認候補を江南市議の小林弘子とする方針を決定。同年12月14日、第47回衆議院議員総選挙で愛知10区に無所属で出馬するも落選。 2015年9月1日、維新の党から次期衆院選の公認内定を受ける。ところが直後に党が分裂。杉本は、維新の党の大阪系議員らが同年10月24日に開催した同党の「臨時党大会」に出席した。 2016年2月9日におおさか維新の会衆院愛知10区支部長就任が発表され、12月19日に日本維新の会愛知県総支部代表代行就任が発表された。 2017年10月の第48回衆議院議員総選挙は、次点で落選した希望の党の安井美沙子より2万2千票近く下ったが、比例東海ブロックの名簿1位に登載されていたため、日本維新の会が獲得した1議席に選ばれ3選を果たした。 2021年10月31日の第49回衆議院議員総選挙では、小選挙区で次点となり比例復活で4選を果たした。
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