みんなの党から国政へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 00:52 UTC 版)
2009年8月、みんなの党に入党。同月の第45回衆議院議員総選挙にみんなの党公認で東京15区から出馬し、小選挙区では、民主党の東祥三、自由民主党の木村勉の後塵を拝したが、重複立候補していた比例東京ブロックで復活し、初当選。2012年12月の第46回衆議院議員総選挙では、東京15区で民主党から日本未来の党へ鞍替えした東祥三や自民党の秋元司らを下し、初めて小選挙区で当選した。 みんなの党では江田憲司幹事長の側近として活動し、政調会長代理を務めたが、江田が渡辺喜美代表との対立により2013年8月7日付で幹事長を解任されると、柿沢も政調会長代理を解任された。同年8月23日、みんなの党へ離党届を提出し、受理された。
※この「みんなの党から国政へ」の解説は、「柿沢未途」の解説の一部です。
「みんなの党から国政へ」を含む「柿沢未途」の記事については、「柿沢未途」の概要を参照ください。
- みんなの党から国政へのページへのリンク