まぼろしの「手取福岡駅」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/01 09:43 UTC 版)
「瀬木野駅」の記事における「まぼろしの「手取福岡駅」」の解説
『河内村史 上巻』(1981年発行)によると、当駅より広瀬側に400mほど離れたところに「手取福岡駅」を作るという計画があった。 1953年(昭和28年)ごろ、河内村福岡の人たちにとって唯一の交通機関は金名線であった。しかし乗車するためには、区から1km離れた福岡第1発電所裏から線路巡視用に架けられたつり橋を渡り、田んぼ道を通って県道に出て、さらに400mほど上って当駅につくという按配で、20 - 30分かかった。せめて県道の出途あたりに停留所ができないか、と当時の福岡区長が北陸鉄道に働きかけたところ会社側も快く受け入れ、手回しよく駅舎もできないうちにもう切符には「手取福岡」と記された。ところが、肝心の駅敷地の提供を瀬木野区が拒んだ(手取福岡駅ができると乗客の大半を同駅に取られ、当駅が廃止されるという恐れから)ため、この計画は破談になった。その後、服部駅と福岡橋ができ、所要時間も10分と大幅短縮された。
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