はじめてのスポーツ自転車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 09:38 UTC 版)
「松旭斉菊代」の記事における「はじめてのスポーツ自転車」の解説
だが、サイクリングを嗜む70歳代の人物が「自転車はハンチングベレー帽を被って毎日40キロメートルほど走っています。」とインタビューを受けている姿をテレビ番組で拝見して胸ときめかせてからは、高齢でもスポーツ自転車に乗ること素敵に思えてきた。50歳過ぎという自身の年齢を考えると「自転車を作るためのお金を貯めている時間が惜しく思えてきた。」ので、居酒屋「舞台」の常連客でもある荒川サイクリングクラブの中岡隆を電話で呼び出して自転車の製作について相談した。 そして店と同じ荒川区内にあるマツダ自転車工場にてオレンジ色の自転車(「りゅうちゃん」と名づける。)を製作してもらってからは、すっかり自転車の虜となり居酒屋「舞台」で話す話題までも自転車が多くなってゆき、やがて商店街の近隣人やギターリストなどの常連客の中からも自転車を製作してサイクリングを始める人が現れた。そして常連客5人ぐらいの仲間で「日本楽屋クラブ」と題してサイクリングを楽しんだ。 新宿末廣亭や浅草演芸ホールなど近場の寄席に通うときは、りゅうちゃん号に乗って通うようになった。娘からは「自転車で仕事に出かけるならば、奇術の出前公演でもしたら。」と冷やかされることもあった。
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