のんき哲学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 00:41 UTC 版)
1946年、衆議院議員となった年の12月に出版された自著「のんき哲学」は、タイトル通り自身の哲学、社会批判や自身の生い立ちなどが綴られており、近年一般的に出ている「タレント本」のメソッドと変わらない。戦前こうしたタレント本が出ていたのか不明だが、「のんき哲学」は「タレント本」としても先駆的な本かも知れない。また亡くなる直前1955年に、江戸川乱歩や淡谷のり子、坂信弥、秦豊吉、小唄勝太郎、春風亭柳橋らとの、エロに纏わる対談集『粋談 はだか読本』を出している。この本の中で対談のホスト役の石田は「まるで、誘導尋問係という妙な仕事」と表現している。 『のんき節』の替え歌には他に 「鮹に骨なしナマコに眼なし 政府に策なし議員に抱負なし 民に職なし 愛もなし 皮肉にや抱負と骨がある へゝのんきだね」 「物の闇なら物さへ作りや 闇はやむけどやみ難い 人の心に悲しい闇の 影がさしたら世は闇ぢゃ へゝのんきだね」 「正邪善惡非富不富は 人の心の奥にある 善をなしてるつもりでも つもりは心ぢゃありません へゝのんきだね」 「醜い南瓜に唇よせて だまつて見てゐる青い空 南瓜はなんにもいはないけれど 南瓜の氣持はよく判る へゝのんきだね」 「權利々々と振りまはされては 權利も權利にやなりかねる 權利を振り廻しすぎますと 利権あさりと間違へる へゝのんきだね」 「生きてゐりやこそ平和も御座る 死んで花見があるものか 焦土に芽をふく名無草 咲こうよ日本の平和境 へゝのんきだね」 「鬼畜米英アメリカという字は米と書く 米は朝日にてらされて やがて日本のままになる へゝのんきだね」 など ― 自著 『のんき哲学』他より
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