それ以外の坊舎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 04:01 UTC 版)
名称創建年現在の建物の建立年常楽坊(旧衛二坊) 平成14年(2002年)11月18日 昭和50年(1975年)3月29日 妙護坊(旧衛三坊) 平成14年(2002年)11月18日 昭和50年(1975年)3月29日 法護坊(旧衛四坊) 平成14年(2002年)11月18日 昭和50年(1975年)3月29日 この他に、大石寺総門より約2km離れた場所に下之坊(しものぼう)がある。日興が身延を離山されてまず寄宿されたのが下之坊であるとされるが、その下之坊は現在の下之坊より北に位置していたと考えられる。総本山19世日舜が大石寺を退かれるにあたり、現在の地に旧名を襲って再興したと考えられる。曽ては大石寺の一つの坊であったが、下之坊は大石寺の境内地の外にあるため、現在は静岡北布教区(大石寺を除く富士宮市)の管轄となる。下之坊の境内には本堂のほかに三師塔、墓所、旧本堂などがあり、また、広範囲にわたる藤棚は誠に見事であり、富士宮の観光名所でもある。 身延を離れた日興が暫く逗留したのもこの地であり、荷物を解いたときの蔓(つる)がそのまま根付いたとされる「かなと蔓」が生えている。毎年12月15日には法主の導師により、妙蓮寺ほか近隣の寺院の住職や大石寺の役僧を迎えて下之坊におけるお会式が奉修される。
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