京極高知
京極高知(きょうごく たかとも) 1572~1622
○生双 長寿丸 修理亮 丹後守 侍従 羽柴氏
◇父:京極高佳 室:織田信澄女、毛利秀頼女 子:京極高広、高三、田中満吉 養子:京極(朽木)主膳正高通
近江守護・京極氏一族。兄高次と共に羽柴秀吉に仕えた。1593年舅毛利秀頼の遺領、信濃・伊奈6万石を継いで飯田城主。城下町の整備に尽力。秀吉が死ぬと、徳川家康に味方して越後・上杉氏討伐軍に加わり、美濃・岐阜城攻撃において1番乗りの功を挙げた。関ヶ原の合戦にも参戦し、大谷吉継隊と戦う。戦後、兄高次が籠もる近江・大津城の救援に向かうが、既に開城後であり、謹慎する高次の復帰に奔走した。関ヶ原の戦功により丹後12万3千余石を受け、田辺城に入り、後に宮津城を築城。大坂両陣にも参陣。熱心なキリシタンとしても知られる。
◇父:京極高佳 室:織田信澄女、毛利秀頼女 子:京極高広、高三、田中満吉 養子:京極(朽木)主膳正高通
近江守護・京極氏一族。兄高次と共に羽柴秀吉に仕えた。1593年舅毛利秀頼の遺領、信濃・伊奈6万石を継いで飯田城主。城下町の整備に尽力。秀吉が死ぬと、徳川家康に味方して越後・上杉氏討伐軍に加わり、美濃・岐阜城攻撃において1番乗りの功を挙げた。関ヶ原の合戦にも参戦し、大谷吉継隊と戦う。戦後、兄高次が籠もる近江・大津城の救援に向かうが、既に開城後であり、謹慎する高次の復帰に奔走した。関ヶ原の戦功により丹後12万3千余石を受け、田辺城に入り、後に宮津城を築城。大坂両陣にも参陣。熱心なキリシタンとしても知られる。
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