金沢清左衛門(かなざわせいざえもん ?-?)
金沢勘右衛門の兄、測量家。
金沢清左衛門の父である金沢刑部左衛門は、島原城主高力高房の家臣で長崎の樋口権右衛門から西洋流の測量術を学び、長子清左衛門に測量術を伝授した。
正保元年(1644)幕府は諸国に命じて、国絵図を作成し提出させた。この時、国絵図から日本全図を編纂する仕事を担当したのが北条氏長である(「正保日本図」慶安4年 1651)。また、明暦の大火の後、幕府はこの北条氏長に復興のために江戸実測図の作成と区画整理を命じた。その際彼は、西洋流の測量術に熟達した金沢清左衛門を登用し事業にあたらせたという。その成果として、「寛文江戸図」が出版された(明暦3年 1657)。津軽藩に仕えた金沢勘右衛門は弟。
金沢清左衛門の父である金沢刑部左衛門は、島原城主高力高房の家臣で長崎の樋口権右衛門から西洋流の測量術を学び、長子清左衛門に測量術を伝授した。
正保元年(1644)幕府は諸国に命じて、国絵図を作成し提出させた。この時、国絵図から日本全図を編纂する仕事を担当したのが北条氏長である(「正保日本図」慶安4年 1651)。また、明暦の大火の後、幕府はこの北条氏長に復興のために江戸実測図の作成と区画整理を命じた。その際彼は、西洋流の測量術に熟達した金沢清左衛門を登用し事業にあたらせたという。その成果として、「寛文江戸図」が出版された(明暦3年 1657)。津軽藩に仕えた金沢勘右衛門は弟。
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