かつての分量樋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/08 03:43 UTC 版)
円筒分水が築かれる前は、ここから分岐する 4方向へ、その二ヶ領用水の水を流域耕地面積に応じて分けるための「久地分量樋」(くじぶんりょうひ)が江戸時代中期に築かれ、その分量樋を洪水から護るための水量調整施設「久地大圦樋」(くじおおいりひ)とともに、改修されながら使われていた。しかしその後も水量をめぐる争いが絶えず、より正確な分水を求めて現在の円筒分水が築かれ、また同時期に余剰の水を新平瀬川に流す施設も造られたことから、上記の各施設はその役目を終えた。 なお、かつての分量樋の遺構は残っていないが、円筒分水より少し上流の二ヶ領用水沿いに「二ヶ領用水久地分量樋跡」の碑が建てられている。
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