かつての分流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/07 00:16 UTC 版)
三角川 新川橋から現在の葛西三角通りを南下し、共栄橋を経て葛西駅前郵便局付近で東に流れを変えて、第二葛西小学校に至る分流である。左近川とも水路で繋がっていたようである。 法蓮寺川 新渡橋から現在の宇喜田通りを経て、十八軒川(新田仲町通り)に至る分流である。川から西側一帯に広がっていた用水路が道路となり、現在の宇喜田町や北葛西の区画を形作っているようである。 宇喜田川 宇喜田橋の西側から宇喜田川公園を経由し、現在の棒茅場通り(ぼうしばどおり)に沿って南下した後、旧中川の河口(清砂大橋の北)に向かって流れていたが、荒川放水路の建設により大部分が水没した。 十八軒川 宇喜田川から葛西中央通りに至る、現在の新田仲町通りを流れていた分流である。台風などで氾濫しやすく、戦後はゴミ捨て場になっていた為、江戸川区の単独事業で埋め立てを行った。1957年5月に第一期工事が完成し、1960年末に第二期工事が完成した。埋め立て費用を捻出するために、3分の1を宅地として売り出したので、道路は本来の川幅より狭いのかもしれない。
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