「義塾」の意味
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天明7年(1787年)、幕命により蝦夷地を探検して功績を挙げた近藤重蔵が同志と協力して子弟のために開いた塾を「白山義塾」と呼んだのが慶應義塾以前に見出しうる唯一の例であるという。もう一つは、掛川藩儒員松崎慊堂の日記「慊堂日暦」の文政8年(1825)1月25日の条に、慊堂が桑名藩の儒者広瀬蒙斎を訪れて、「義塾の事を議す」とあり、その二は、寺門静軒が天保3年(1832)に著した『江戸繁盛記』4篇学校の項に、「官学外儒門の義塾」とある記事である(記事の紹介者名倉英三郎)。 つまり中国では「義塾」本来の語義は、公衆のために義捐で運営される学塾という意味で、学費を納めないのが原則である。 蓋此學を世に拡めんには学校の規律を彼に取り生徒を教道するを先務とす。仍て吾党の士相与に謀て、私に彼の共立学校の制に倣ひ、一小区の学舎を設け、これを創立の年号を取て仮に慶應義塾と名く — 『慶應義塾之記』より これはおそらく英国のパブリックスクールを指すものとされ、要するに慶應義塾は、中国伝統の「義塾」に英国のpublic schoolの内容を盛ったものであるとされている。
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