「本島人」から「本省人」へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 02:20 UTC 版)
「本島人」の記事における「「本島人」から「本省人」へ」の解説
1945年8月のポツダム宣言の受諾による日本の降伏により、台湾は「台湾省」として連合国の一員であった中華民国に編入されることとなり、10月25日には、中国戦区最高司令官蔣介石の代理である陳儀が、最後の台湾総督安藤利吉から降伏を受けた。さらに翌1946年1月の国府行政院訓令により、当時の台湾の住民は、「1945年10月25日より中華民国の国籍を回復した」ものとされた。この訓令で中華民国国籍を回復した男性とその子孫が本省人となり、この訓令によらず中華民国国籍を所有しており、その後台湾に居住するようになった男性とその子孫を「外省人」と呼ぶようになった。ここに日本統治下の「本島人」は中華民国統治下の「本省人」となったのである。
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