「映画論」映画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/28 10:17 UTC 版)
「トーキング・ヘッド」の記事における「「映画論」映画」の解説
あらすじは上記の通りであるが、作中では登場人物が映画論やアニメ論を語るセリフが多く含まれており、一種の「映画論映画」でもある。押井は公開当時に販売された絵コンテ集に掲載した文章の中で、 一本の映画を撮るということは、実は同時にもう一本の〈映画〉の中でその映画を演じる事に他なりません。(中略)映画を撮るという行為によって、逆に現実が一瞬にして〈映画〉に変貌する瞬間。そんな〈映画〉を、それも映画として撮りあげることが出来たら、それこそ最高におもしろい映画になるに違いない…。そんな妄想に取り憑かれて久しく、駄目だよムリだムジュンだ不可能だと何度も否定しながら、諦めずにつくってしまったのが、つまりこの映画なのです。 (太字は原文ママ)と記している。登場人物たちが映画史的言及をする際に用いる言葉は、四方田犬彦の『映画はもうすぐ百歳になる』やエリック・バーナウの『魔術師と映画』の引用によるもの。 上記の通り『ラ・シオタ駅への列車の到着』のアニメーションが登場するが、このほかに劇中で試写室から人が出てくる場面は、同じくリュミエール兄弟の『工場の出口』を模したものだと押井は同人誌のインタビューで述べている。
※この「「映画論」映画」の解説は、「トーキング・ヘッド」の解説の一部です。
「「映画論」映画」を含む「トーキング・ヘッド」の記事については、「トーキング・ヘッド」の概要を参照ください。
- 「映画論」映画のページへのリンク