「恐ろしいものと、恐ろしくないものを、見分ける知識」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/04 00:17 UTC 版)
「ラケス (対話篇)」の記事における「「恐ろしいものと、恐ろしくないものを、見分ける知識」」の解説
21. ソクラテスとラケスは辛抱強く議論・探求を続けていくことを確認。ニキアスも議論に加えることにする。 22. ニキアスは、「恐ろしいものと、恐ろしくないものを、見分ける知識」が「勇気」であると言う。ラケスは「知識」と「勇気」は別ものだと反発する。ニキアスは、ラケスが自分の議論が失敗したものだから私の議論も失敗させようとしていると対抗する。 23. ラケスは、実際ニキアスは無意味なことを言っていると述べる。病気のことで恐ろしいものを知っている医者や、農業のことで恐ろしいものを知っている農夫、その他様々な技術分野で恐ろしいものを知っている人々を、「勇者」とは呼ばないと指摘する。ニキアスは、それぞれの技術者は、その技術の対象を見分けることができるだけであって、「恐ろしいものと恐ろしくないものを見分ける」ことができるわけではないと述べる。ラケスは、ニキアスは「占い師」を「勇者」とでも呼ぶつもりかと反発する。 24. ニキアスは、「占い師」もまた予言ができるだけであって、「恐ろしいものと恐ろしくないものを見分ける」ことはできないと指摘する。ラケスは、ニキアスは自分が言う「勇者」を明示もせず、言い逃れをしているだけだと反発。ソクラテスと交代する。 25. ソクラテスが真意を問うと、ニキアスは、自分は「無知であるがゆえに恐ろしいものを恐れない者」を「勇者」とは呼ばず「恐れ知らずの愚か者」と呼ぶのであり、「恐れを知らないこと」と「勇気があること」は異なる、そして、「向こう見ず」「恐れ知らず」は多くの人が持っているが、「勇気」や「先慮」はごく一部の人しか持っていないという考えを述べる。 26. ソクラテスは、ニキアスのこうした考えは、ソフィストであるプロディコスにも教えを受けたダモン(上記3参照)から得たものだろうと推察しつつ、話を続ける。
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