「大魔王」誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/01 10:05 UTC 版)
「藤田勇 (新聞記者)」の記事における「「大魔王」誕生」の解説
1923年春、帰国するヨッフェに同行し、モスクワを訪問。出発前に高田商会の副社長・池田勝次と高田亀吉から、インドで仕入れて中国・上海で密売しようとしていた麻薬を上海の青幇に狙われて中国で荷揚げできずにいたところ、ウラジオストクでソ連に船ごと押収されたので返してもらってほしいと依頼される。モスクワからの帰途、ウラジオに立ち寄り、大日本水産会の竹村浩吉を通訳にしてウラジオの政府要人と交渉し、高田商会の船を50万円で払い下げてもらい、麻薬を日本海上で別船に移して上海に入港、売り捌いて800万円の利益を挙げた。藤田は高田商会から謝礼として150万円の手形を受け取り、うち40万円を現金化、残額は同商会が倒産したため不渡りとなった。この件で藤田は青幇から「大魔王」と畏れられるようになったという。
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