「南忠男」として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/10 22:29 UTC 版)
豊島は「南忠男兵曹長」を名乗り、中攻射手の兵曹長で、アンボンからダーウィン空襲に向かったが、落下傘降下したと名乗っていた。メルヴィル島から遠く離れた南オーストラリア州アデレード近郊の民間の在豪邦人を対象としたラウディ収容所に拘留された。しかし入所して一週間たった時、馬で脱走して飛行場まで強行突破し、飛行機を強奪せんとする騒ぎを起こしたが、飛行場まで辿り着く前に捕縛された。その後、シドニーの西方約600キロにあるやはり民間の在豪邦人を対象としたヘイの収容所に移された。収容所での生活は一日8時間で、道路の補修作業やまき集め、柵を作ったり牛馬の糞を集めたりと過酷なものではなかった。 ヘイ収容所には他の日本兵捕虜も収容されていた。同年2月15日、索敵中に交戦し不時着した東港空大艇隊所属97大艇搭乗員の高原希国一飛曹(偽名:高田一郎)、古川欣一二整曹(同:山下清)、沖本治義一飛曹(伊野治)、天本正好三整曹(天野)、平山一飛曹(平田)の5名である。しばらくは孤立していたが、飛行機搭乗員という事に気づかれると5名よりリーダーとして立てられる。また、ほかの一般人収容者も豊島らに同情的で、銀行員など高学歴者が多かったことから6人に様々な知識を伝授した。この時期から英語を学び始めたようで、高原はあっという間に追い越されたと回想する。
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