「医学校」時代
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文久1年1月(1861年11月)に設立された幕府直轄の西洋医学校「医学所」は、慶応4年4月(1868年5月)、明治新政府に接収されて6月26日(新暦8月14日)には「医学校」と改称され、翌明治2年(1869年)1月にはイギリス公使館付医師のW・ウィリスを教師として授業を開始した。この医学校は翌2月には官立の「大病院」と統合されて「医学校兼病院」となるが、同年7月18日(新暦8月15日)の大学校設立に際し、開成学校(旧幕府の開成所の後身)とともにその管轄下に入り、大学校「分局」とされた。
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