「メゾン・パキャン」の国際的展開
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「ジャンヌ・パキャン」の記事における「「メゾン・パキャン」の国際的展開」の解説
イギリスの事業パートナーと繋がりをもったパキャンは、パリにも支店を残しながら、1896年に本拠地をロンドンのドーヴァー・ストリート (Dover Street)39番地に移した。1912年には、ニューヨーク5番街398番地に毛皮の店舗を構え、半きょうだいのアンリ・ジョワール (Henri Joire) にその運営を委ねた。この年、彼女はオー=ド=セーヌ県サン=クルーのモン=ヴァレリアン通り (rue du Mont-Valérien) 33に、建築家で装飾家のルイ・スー (Louis Süe) の手になる屋敷を構えた。その直後には、マドリードとブエノスアイレスにも支店が出された。彼女は、グラン・クチューリエとしては初めて、1913年にレジオンドヌール勲章を受章した。 ジャンヌ・パキャンはその着想の多くを過去から得ていたが、他方では時代の変化にも順応しており、第一次世界大戦の直前には、「地下鉄の文明」にふさわしい国際的な服装として男女共通のスーツを生み出した。パキャンの際立って現代的な精神は、レオン・バクストとの協力によって生み出された舞台衣装にも表現されている。
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