「メキシコ王の娘」説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 02:50 UTC 版)
『サヴォイ・カクテルブック』で、「カクテルという言葉の起源」として特に紹介されている説。 19世紀のはじめ、アメリカ合衆国南部陸軍とアホロートル8世 (Axolotl VIII) 率いるメキシコ軍の間には小競り合いが絶えなかった。しかしある時、休戦協定が結ばれることとなった。休戦協定交渉にあたり、まず最初に酒が供された。自身が調合したらしき飲み物を満たした杯を持ち、美女がその場に現れたが、その杯がひとつしかなかったことで、その場の雰囲気が不穏なものとなる。杯がひとつだけということは、アメリカ軍の将軍かメキシコ王か、どちらかが先に飲むことを意味しており、後に回された方が「自らを侮辱している」と感じるのではないかという懸念があったからである。しかし、その美女は不穏な空気を察し、微笑みうやうやしく頭を垂れると、自らその杯の酒を飲み干した。これにより、その場の緊張が解け、交渉は成功に終わる。協定交渉の最後、将軍が機転の利くその美女についてたずねると、王は自らもその美女に会ったことはなかったにもかかわらず、自慢げに答えた。「あれは自分の娘で、コクテル(Coctel)という」。 サヴォイ・カクテルブックに示された説はこのとおりであるが、他の文献にも類似の説が示されている。ただし、19世紀はじめのメキシコにはすでに王はおらず、アホロートル8世という名の王も存在していない。
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