「ブラック・アングル」での逸話
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 16:03 UTC 版)
「山藤章二」の記事における「「ブラック・アングル」での逸話」の解説
「ブラック・アングル」は実は逆転の発想の産物である。山藤が「週刊朝日」の仕事に関わるようになったのは1972年からであるが、初の仕事は当時イラストレーターとしては珍しい表紙イラストであった。しかし、山藤の表紙イラストは読者から不評で、1974年の6月限りで終了の憂き目に遭う。とはいえ一方で惜しむ声もあったため、巻末ページにイラストを持っていくという形で継続された。以降、山藤は「週刊誌を裏から開かせる男」という呼び名を奉られることになる。 初期は野坂昭如から批判めいた手紙が届いたり、王貞治が「バットで頭を叩き割ってやる」といきり立っていたという噂を聞かされたりした。胃炎を患って中断したこともあった。「ブラック・アングル」の本連載開始が1976年となったのは、胃炎のために1年延びたからである(テスト連載は1974年からスタートし、同年末で終了)。 「ブラック・アングル」の特徴はイラストを黒枠で囲んだ点にあるが、テスト連載時代は赤色などで囲んでいた事もあった。黒枠は試行錯誤の産物である。
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