「ディアレクティケー(弁証術)」と「哲学者」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/12 04:54 UTC 版)
「ソピステス」の記事における「「ディアレクティケー(弁証術)」と「哲学者」」の解説
そこで客人は、「言論(ロゴス)」における「類(ゲノス)/形相(エイドス)/イデア」類の「混じり合い」に関しても、それらを識別できる「技術」が必要であること、そしてその「技術」とは、「哲学者」の「技術」である、 「ディアレクティケー(弁証術、哲学的問答法)」 であると、指摘する。テアイテトスも同意する。 そして客人は、「ソフィスト」は「「有らぬもの(非有)」の暗闇の中へと逃げ込み、手探りでその暗闇に身を寄せている」がゆえに、一般人はその正体を見極めるのが難しいが、「哲学者」は反対に、「「有るもの(有)」としての「イデア」、その神的な明るい輝きの側に身を置いている」がゆえに、多くの人々には容易に見ることができないのだと指摘する。テアイテトスも同意する。 そして客人は、「哲学者」に関しては後回しにすることにして、とりあえずは「ソフィスト」の追求を続けることにする。テアイテトスも同意する。
※この「「ディアレクティケー(弁証術)」と「哲学者」」の解説は、「ソピステス」の解説の一部です。
「「ディアレクティケー(弁証術)」と「哲学者」」を含む「ソピステス」の記事については、「ソピステス」の概要を参照ください。
- 「ディアレクティケー」と「哲学者」のページへのリンク