「エレファント・マン」誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 02:35 UTC 版)
「ジョゼフ・メリック」の記事における「「エレファント・マン」誕生」の解説
救貧院での生活に甘んじていたメリックであったが、1884年・22歳の時に奇形者を出演させる興行師兼コメディアンのサム・トー (Sam Torr) の存在を知り、自らの身の上を手紙に認めて送ったところ、トーはメリックと面会して彼を見世物興行の世界に入れることを決め、これに伴いメリックはこの年の8月にレスター救貧院を退所。トーは実業家サム・ローパー (Sam Roper) とJ.エリス (J.Ellis)、奇形者の見世物興行を手がける旅回りの興行師トム・ノーマン (Tom Norman) にジョージ・ヒッチコック (George Hitchcock) の4人とともに会社を設立する、彼らによって「半人半象 (Half a man & Half an Elephant)・エレファント・マン」なるキャッチフレーズが考案された。メリックはおそらくエリス所有の演芸ホール「ザ・リビング」で初舞台を踏み、その後は近隣のいくつかの都市を巡演したものと考えられている。 また会場では、メリック自らが半生を綴ったとされる「ジョゼフ・ケアリー・メリックの自伝」("The Autobiography of Joseph Carey Merrick") と題された小文が掲載されたパンフレットも販売されていた。その小文には、彼の奇形が「彼の母親が彼を妊娠中、五月祭で町を訪れた移動動物園のパレードを見物しに行ったところ、誤って行進して来た象の足元に転倒、強い恐怖を味わったことが原因」だと書かれていたが、興行師はこれと同じことをメリックの見世物の開演前に、客に口上として申し述べ、客の好奇心を煽っていた。
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