《1st. LOVE, 2nd. LOVE...》
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/04 04:08 UTC 版)
「久保田成子」の記事における「《1st. LOVE, 2nd. LOVE...》」の解説
日本での中学校教師時代である1963年12月に、東京・内科画廊で初個展を開催。くしゃくしゃにした新聞紙を山のように積み、その上を白の布で覆ってブロンズの彫像を設置し、観客が紙の山に這い上がって鑑賞する前衛芸術作品を発表した。久保田はこの展覧会の案内状と手紙を、瀧口修造や中原佑介、東野芳明、三木多聞ら、当時活躍していた美術批評家たちに送ったが、展評が出ることは一切なく失望する。しかし、ナム・ジュン・パイクが本展を好意的に評価したことで、「日本では女性アーティストが認められるチャンスはないと思い」ニューヨークでの活動の決意に繋がる。
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