YMO ベスト・セレクション
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アルバム『テクノデリック』(1981年)リリースと同日には細野晴臣がプロデュースしたチャクラのアルバム『さてこそ』がリリースされた[1]。その後YMOは「ウィンター・ライヴ1981」と題したコンサートツアーを11月24日の宮城県民会館から12月27日のツバキハウスまで、9都市全13公演行った[2]。
ツアー中の12月1日には坂本龍一プロデュースによる東京放送児童合唱団の酒井司優子によるシングル「コンピューターおばあちゃん」がリリースされ、同曲はNHK教育音楽番組『みんなのうた』(1961年 - )にて使用された[2]。12月5日には高橋幸宏と鈴木慶一のユニット「THE BEATNIKS」のアルバム『EXITENTIALISM 出口主義』とシングル「No Way Out(出口なし)」が同時にリリースされた他、細野が作・編曲した曲が収録されたイモ欽トリオのアルバム『ポテトボーイズNo.1』がリリースされた[2]。12月20日には坂本がプロデュースした宮崎美子のアルバム『Mellow』がリリースされた[3]。12月27日にはツアー最終日となるツバキハウスでの公演が行われ、ゲストとして松武秀樹、立花ハジメ、EXの梅林茂が参加した[3]。12月29日には渋谷東映でのRCサクセションのライブ「真夜中のロック・ショー」に坂本がゲスト出演し、これが縁となり後に共作する事となった[3]。また1981年を以ってA&Mレコードとの契約が終了したため、以降の作品の日本国外でのリリースは全てCBS/ALFAからリリースされる事となった[3]。
1982年に入り、1月にはイギリスにて高橋のソロアルバム『NEUROMANTIC』とシングル「ドリップ・ドライ・アイズ」がリリースされた[3]。1月3日にはNHK-FMにて昨年末の新宿コマ劇場でのライブの模様が放送され、司会はYMOの3人とイモ欽トリオが担当した[3]。2月にはイギリスでセカンドアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』がリリースされた[3]。2月14日には忌野清志郎+坂本龍一のシングル「い・け・な・いルージュマジック」(1982年)がリリースされ、50万枚を売り上げるヒット曲となった[4]。2月21日にはシングル「体操 (YMOの曲)」、坂本とダンスリーとの共作アルバム『エンド・オブ・エイジア』、スネークマンショーのアルバム『スネークマンショー海賊盤』がリリースされた[4]。
3月にはイギリスで「ライディーン」がリリースされ、高橋はソロアルバムのレコーディングのためにロンドンに向かった[4]。3月1日には坂本と高橋が参加した伊藤つかさのアルバム『さよなら こんにちは』がリリースされた[4]。3月21日には細野が参加したイモ欽トリオのシングル「ティアドロップ探偵団」がリリースされた[4]。3月24日には日本テレビ系深夜番組『11PM』(1965年 - 1990年)に細野と高橋が出演、3月27日にはフジテレビ系バラエティ番組『オレたちひょうきん族』(1981年 - 1989年)に3人で出演、さらに3月30日にはフジテレビ系バラエティ番組『THE MANZAI』(1981年 - 1982年)に「トリオ・ザ・テクノ」として出演し漫才や物まねを披露した[4]。
4月1日には細野が参加した山下久美子のシングル「赤道小町ドキッ」、高橋が参加した中原理恵のアルバム『インスピレーション』がリリースされた[5]。4月15日にはフジテレビ系音楽番組『ミュージックフェア』(1964年 - )に出演、「恋人よ我に帰れ」(1928年)をテクノポップ調アレンジで演奏した[5]。4月21日には高橋が参加したアゴ&キンゾーのシングル「世界最強の愛のテーマ」がリリースされた[5]。5月にはイギリスにて高橋のソロアルバム『音楽殺人』とシングル「MURDERED BY THE MUSIC」がリリースされた[5]。5月1日には3人が参加した矢野顕子のアルバム『愛がなくちゃね。』、細野が参加した真鍋ちえみのシングル「ねらわれた少女」がリリースされた[5]。5月21日には細野と高橋が発起人となった"\ENレーベル"の第一弾として、細野のソロアルバム『フィルハーモニー』、高橋と坂本が参加した立花ハジメのアルバム『H』がリリースされた他、高橋が参加したスーザンのシングル「サマルカンド大通り」がリリースされた[6]。
6月21日には高橋のソロアルバム『WHAT, ME WORRY?』、細野がプロデュースしたゲルニカのアルバム『改造への躍動』、坂本龍一&ロビン・スコットのシングル「アレンジメント」、坂本が参加した土屋昌巳のアルバム『RICE MUSIC』がリリースされた[6]。6月22日には高橋のソロコンサートツアー「YUKIHIRO TAKHASHI TOUR '82 WHAT ME WORRY」が浦安市文化会館ホールより開始され、7月28日まで開催された[7]。6月25日には細野が参加したESアイランドのシングル「テクテク・マミー」がリリースされた[7]。7月にはイギリスで高橋のシングル「DISPOSABLE LOVE」がリリースされた[7]。7月1日には坂本が参加した三田寛子のシングル「夏の雫」がリリース、7月7日には細野が参加したスターボーのシングル「ハートブレイク太陽族」、7月10日には細野が参加した柏原芳恵のシングル「しあわせ音頭」、7月21日には高橋のミニアルバム『WHAT, ME WORRY? ボク、大丈夫?』と細野が参加したコスミック・インベンションのシングル「プラトニック学園」がそれぞれリリースされた[7]。
8月21日には坂本は映画『戦場のメリークリスマス』の撮影のためラロトンガ島へと向かった[8]。8月25日には細野が参加した真鍋ちえみのアルバム『不思議・少女』がリリースされた[8]。9月1日にはTHE BEATNIKSのシングル「海を流れる河のように」、9月5日には坂本とデヴィッド・シルヴィアンのジョイントシングル「バンブー・ミュージック」、9月21日には細野と高橋が参加したサンディー&ザ・サンセッツのアルバム『イミグランツ』、坂本と細野が参加した大貫妙子のアルバム『クリシェ』、高橋が参加したピエール・バルーのアルバム『ル・ポレン』がそれぞれリリースされた[8]。10月1日には細野が参加した真鍋ちえみのシングル「ナイトトレイン・美少女」、ロジック・システムのアルバム『東方快車 〜Orient Express〜』がリリースされた[9]。
- ^ コンパクトYMO 1998, p. 87.
- ^ a b c コンパクトYMO 1998, p. 88.
- ^ a b c d e f g コンパクトYMO 1998, p. 89.
- ^ a b c d e f コンパクトYMO 1998, p. 90.
- ^ a b c d e コンパクトYMO 1998, p. 91.
- ^ a b コンパクトYMO 1998, p. 92.
- ^ a b c d コンパクトYMO 1998, p. 93.
- ^ a b c コンパクトYMO 1998, p. 94.
- ^ a b コンパクトYMO 1998, p. 95.
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