セウォル号沈没事故
別名:2014年韓国船沈没事故、韓国旅客船沈没事故、旅客船セウォル号沈没事故
韓国の旅客船「セウォル号」が2014年4月16日に転覆、沈没した事故。
セウォル号は4月16日、韓国北西部の仁川港を出港し、済州島へ向けて航行中だった。同日午前中、珍島の沖合において船が転覆し始め、同日午後のうちに船体の大部分が沈没した。沈没したセウォル号は完全にひっくり返り、球状船首のみ海面上に露出させた状態となった。18日を迎えた時点で完全水没が確認されている。
事故当時、セウォル号には乗客・乗員あわせて約470名が乗船していた。そのうち過半数は修学旅行で済州島で向う高校生と教員だったとされる。
韓国紙・朝鮮日報は、4月18日時点で197名がすでに救助され、25名については死亡を確認、なお271名の行方が分からない状況であると伝えた。その後の捜査は難航し、4月28日時点で死者は180名超、また依然として100名以上の行方不明者を残している。事故発生から間もないうちは、船内のエアポケットで空気を確保できた生存者がいる可能性もあるとされたが、これも次第に絶望視された。
沈没したセウォル号は客室を増やすための増築が施されており、竣工時よりも船の重心が上って不安定な構造になっていたと指摘されている。また、事故当時セウォル号には100台単位の車両をはじめ多量の貨物が積載されていた。積載量を得るためにバラスト水を減らしていた可能性もあるとされる。こうした貨物の過積載ならびに不十分な固定も転覆の大きな要因と見られている。
セウォル号沈没事故では、事故発生直後の船内における対応も問題視されている。乗組員は乗客に救命胴衣を着用するようにとの指示を下しているが、避難誘導は必ずしも適切に行われなかったと見られている。備え付けられていた救命ボートもほぼ全く手付かずとなっていた。船長は真っ先に脱出し、船員にも存命者が多い。4月末時点の報道では、船員が乗客の救助をなげうって保身したとする論調が色濃い。船長は事故後まもなく逮捕されている。
事故発生から一月余り経過した5月半ば、セウォル号を運航していた清海鎮海運が、破産手続に入ったと報じられた。セウォル号はなおも転覆して沈んだままとなっている。
2014年6月6日、行方不明者の1名が新たに発見された。この時点で死者は290名、行方不明者は14名となった。セウォル号はなおも転覆して沈んだままである。
韓国では1993年に「西海フェリー沈没事故」と呼ばれる旅客船沈没事故が起きている。事故当時、西海フェリーには定員を大幅に上回る400名以上の乗客が乗っており、黄海を航行中に転覆、300名弱の死者を出している。
2015年4月、セウォル号沈没事故からほぼ一年が経過した時点で、船体は依然として現場で転覆した状態にある。
関連サイト:
韓国沈没船の3日目捜索スタート 時間との闘いも難航 - 朝鮮日報日本語版 2014年4月18日
犠牲者1人を追加収容…不明者14人に - 中央日報日本語版 2014年6月6日
セウォル号沈没事故
セウォル号沈没事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 03:54 UTC 版)
「海洋サルベージ」の記事における「セウォル号沈没事故」の解説
2014年にセウォル号沈没事故で沈没した船体の引き上げ事例(6825トン級の船体が水深約40m地点に沈没)では、韓国政府の競争入札に対して中国の上海サルベージと韓国企業が形成したコンソーシアムが851億ウォン(約84億6300万円)で落札。オランダ企業を中心とするコンソーシアムの見積もり額が1485億ウォン(約147億6800万円)であったことと比べれば破格の額であった。しかしながら上海サルベージの計画は、難工程の連続となり早々に破綻。結局、契約変更により工期は延長され、契約金額は916億ウォン(約91億1000万円)に上昇した。ただし、韓国政府が払わなかった部分も相当あり、最終的に上海サルベージ側が実際に負担した費用は、2800億ウォン(約268億円)に達したと推測されている。
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