首都
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/12 10:06 UTC 版)
首都(しゅと、英: capital / capital city)とは、一国の中心となる都市のことを指す。
注釈
- ^ 江戸、京都、そして経済商業の中心であった大坂の三都市は当時の日本を代表する大都市であり、三都と通称されていた。
- ^ 考え方によっては、幕府の外交機関所在地(貿易港・出島のある長崎)も、首都機能のある部分を分担していたと見ることもできる。ただし、外交の決定は江戸で行われ、また、長崎は対ヨーロッパ・中国のみで、幕府以外が管轄する異域との外交機関も他に存在した。蝦夷地・和人地では松前藩がアイヌ人との、薩摩藩の鹿児島では仮屋(在番親方)にて琉球王国との外交があった(国際法上の国に当たらないとして外交と見ないこともある)。なお、在外公館にあたるものに、李氏朝鮮にあった対馬藩の倭館、琉球王国にあった薩摩藩の仮屋(在番奉行)、清国福建にあった琉球王国の柔遠駅がある。
- ^ タイ王国の現在の首都はバンコクであるが、前国王のラーマ9世の主要な居住地は、プラチュワップキーリーカン県のリゾート地ホアヒンにあるクライカンウォン宮殿であった。ただし、クライカンウォン宮殿はあくまで離宮であり、一般に国王自身の療養のための一時的な滞在と説明されている。また、タイの場合、宮殿、離宮あるいはその他の王室の住居がタイ国内各地に存在する。国王の形式上の住居はバンコクにある王宮であり、国王やその家族が実質的に住居し公務が行われる場所は同じくバンコクのチットラダー宮殿である。そのため、クライカンウォン宮殿への国王の一時滞在という事例は、首都と王宮所在地が必ずしも一致しない例とはなり得ない。
- ^ かつては、オランダの国王の王宮はユトレヒト郊外、ハーグ、アムステルダムに設置されており、通常の住居としてはユトレヒト郊外の王宮、公的行事にはハーグの王宮、国家の重大行事にはアムステルダムの王宮が使用されていた。その意味では、ユトレヒトもオランダの首都のひとつと考えることができていた。ただし、現在ベアトリクス女王はハーグのハウステンボス宮殿を常住の宮殿としている。
- ^ 行政区分上は首都府であり都と訳され県ではないが、事実上県として扱われることが多い。
- ^ 県の上位行政区画である地域圏(この場合はイル・ド・フランス地域圏)の区域には含まれる。なお、フランスの地域圏はほかの国における州相当の地方行政区画であり、フランスの地理・歴史・文化・観光に関する日本語の文献では「州」ないしは「地方」と訳される場合が多い。
出典
- ^ KO字源 [1]「首」「都」「渾」「京」の項目による。
- ^ 研究社「新英和中辞典 第6版」[リンク切れ]
- ^ 「必携漢字検定ハンドブック10級~2級」松村武久 三修社 P.176、「知らなかったではすまされない日本語の常識・非常識」学際国語研究グループ編P.72など
- ^ 日本の首都に関する質問主意書
- ^ 衆議院議員逢坂誠二君提出日本の首都に関する質問に対する答弁書
- ^ “東京都知事本局地方分権推進部国政広域連携・首都調査担当 首都の定義に関する文書質問の実施”. 2016年11月28日閲覧。
- ^ デシデリ『チベットの報告』
- ^ オランダ憲法第32条「君主大権を引き受けるに当たって、国王は、首都アムステルダムでの両院の公開かつ合同の会議において、すみやかに宣誓を行い、就任する(以下略)。」衆議院憲法調査会資料。直接の引用元はPDF [2] P.2
- ^ “The World Factbook/Capital”. 中央情報局. 2021年2月16日閲覧。
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