金勝寺 (栗東市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/29 18:31 UTC 版)
歴史
概要
寺は栗東市の南方、
創建
金勝寺は、寺伝では天平5年(733年)、聖武天皇の命により、紫香楽宮の鬼門鎮護のため良弁が創建したという[注 1]。創建については、他の伝えもある。中世の記録である『興福寺官務牒疏』(嘉吉元年・1441年)によると、この寺は天武天皇の白鳳元年(672年)、役小角(役行者)の修行した霊跡であり、養老元年(717年)、金粛菩薩が開基。平城京の鬼門(北東)を守る寺となったという。一方、寛平9年(897年)6月23日の太政官符(『類聚三代格』所収)によると、金勝寺は金粛菩薩の霊地であり、ここで修行していた興福寺の伝燈大法師位願安が弘仁年中(810 - 824)、国家のために伽藍を建立した。その後、承和聖帝(仁明天皇、在位833 - 850)の時に勅額を賜って金勝寺と号したという。
仁明天皇の治世の歴史を記した『続日本後紀』によれば、天長10年(833年)「金勝山大菩提寺」が定額寺(官寺に準ずる国家公認の寺院)に列せられている。寛平9年(897年)には前述の太政官符により金勝寺に年分度者(国家から年間に許可される得度者数)2名が許可されている。
中世以後
建武2年(1335年)には後醍醐天皇の綸旨により同天皇の祈願所となっている。前述の『興福寺官務牒疏』によると、往時は山上に36坊を数えたというが、天文18年(1549年)の火災で焼失し衰退した。その後再建され、近世には徳川家康が30石を与えているが往時の規模を取り戻すことはなかった。
注釈
- ^ 一般に「鬼門」とは北東の方角を指すので、この説では方角が合わない
出典
- ^ a b “近江湖南アルプス自然休養林スタンプラリー” (PDF). 桐生観光協会(滋賀県大津市桐生). 2022年6月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年10月22日閲覧。
- ^ “こんぜめぐりちゃんバス” (PDF). 栗東市観光協会 (2023年). 2023年3月19日閲覧。
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