遠山景元 江戸幕府役職履歴

遠山景元

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/26 04:19 UTC 版)

遠山 景元(とおやま かげもと、1793年9月27日寛政5年8月23日〉- 1855年4月15日安政2年2月29日〉)は、江戸時代旗本幼名は通之進、通称は実父と同じ金四郎(きんしろう)。官位従五位下左衛門少尉職制は、江戸北町奉行大目付、後に江戸南町奉行


注釈

  1. ^ 昭和17年(1942年)に遠山家が甲冑を靖国神社に寄贈、靖国神社に保管されている[7]
  2. ^ 松野助義に続く2例目。景元以降は跡部良弼池田頼方井上清直佐々木顕発が南北奉行を歴任している。また、元禄-享保期に17年間だけ存在した中町奉行を務めた丹羽長守坪内定鑑も、丹羽は北町奉行を、坪内は南町奉行を歴任している。
  3. ^ 旧幕臣の中根香亭が書いた「大日本人名辞書」の「遠山左衛門尉」の記述「腕に桜花の文身(いれずみ)せり」。
  4. ^ 『日本人名大辞典』(昭和12年(1937年) 平凡社刊)に「人となり慧敏なれど少時頗る放蕩にして常にを飲み、娼家に寓し、市井無頼の徒と伍した」とある。
  5. ^ 荒俣宏の小説『帝都物語』の前日談『帝都幻談』にも主人公の1人として登場している。

出典

  1. ^ 遠山講中所蔵、千葉県立中央博物館大多喜城分館保管。いすみ市指定文化財。
  2. ^ 港区橋物語01 新橋”. 港区ホームページ (2016年3月30日). 2018年7月27日閲覧。
  3. ^ 墨田区観光協会, 一般社団法人 (2015年7月5日). “長谷川平蔵・遠山金四郎住居跡 | おすすめスポット | 一般社団法人 墨田区観光協会【本物が生きる街 すみだ観光サイト】”. 一般社団法人 墨田区観光協会【本物が生きる街 すみだ観光サイト】. 2021年4月9日閲覧。
  4. ^ 岡崎、P101 - P103。
  5. ^ 藤田(2009)、P41 - P47。
  6. ^ 藤田(2009)、P57 - P69。
  7. ^ 岡崎、P132 - P136
  8. ^ 木村芥舟黄粱一夢』木村芥舟、1883年12月https://iss.ndl.go.jp/api/openurl?ndl_jpno=41014819 
  9. ^ 『浮世の有様』弘化期刊
  10. ^ 石井良助編 編『江戸町方の制度』(増補新訂版)新人物往来社、1995年8月、14頁。ISBN 4-404-02223-9 
  11. ^ 棚橋正博『捏造されたヒーロー、遠山金四郎』講談社、2010年2月、16-21頁。 
  12. ^ フジテレビトリビア普及委員会『トリビアの泉〜へぇの本〜 6』講談社、2004年。 
  13. ^ “【「江戸検」過去問】 遠山の金さんが騎馬できなかった病気”. NEWSポストセブン (小学館). (2012年5月17日). https://www.news-postseven.com/archives/20120517_108245.html?DETAIL 2022年5月31日閲覧。 
  14. ^ 藤田(2009)、P43・f。
  15. ^ 岡崎、P214。


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