運天港 運天港の概要

運天港

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 03:02 UTC 版)

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運天港周辺の空中写真。南北に続く細長い海峡部、西岸上方(画像中央やや上方)に見える車道と接続する小規模な港湾施設が運天港である。左(西側)が沖縄本島の本部半島。右(東側)が屋我地島、上方の外洋は東シナ海、下方が内海の羽地内海である。
1977年撮影の11枚を合成作成。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

沖縄本島北部の本部半島では本部港と並んで主要な港だが、重要港湾に指定されているのはこの港だけである。

歴史

源為朝伊豆大島から逃れて来る最中に暴風雨に遭い、「運を天に任せて」辿り着いた地だとする伝説がある(源為朝#為朝伝説も参照)。これが地名の由来であるという説もあり、港には上陸の碑が建っている。

琉球王府時代、北山(沖縄島北部地域)の中心だった今帰仁城があったことから行政の要所だった。17世紀薩摩軍琉球侵攻した際、沖縄本島への第一歩を踏み入れたのは当港だったと言われている。以来、薩摩との航路として利用されたという。

第二次世界大戦前は、奄美群島や近隣離島との流通の中心地として農作物等を取り扱ったほか、日本本土向けの黒糖の積出港として栄えた。戦時中には旧日本海軍特殊潜航艇基地が置かれていたが空爆によって壊滅し、米軍部隊の上陸を許した。

戦後、水深5m、1,000t級の船舶が利用できる岸壁が建設された。

1972年本土復帰とともに沖縄県を管理者とする重要港湾として指定された。また、1975年に開催された沖縄国際海洋博覧会会場の建設資材搬入および、来客輸送のための港湾として位置づけられたことから、10,000t級の船舶が利用できる岸壁が整備された。この際、当港の近隣にあり沖縄本島海域では唯一の天然の避泊地である羽地内海も併せて整備され、台風などの大しけの際には、付近を航行する船舶が避難目的として利用するようになった。

1988年には伊是名航路が、1990年には伊平屋航路が運航効率の良さ等から、本島側の発着港をそれぞれ本部港から移した。

旅客輸送

旅客施設として、両村の切符売り場のほか、喫茶および売店と、椅子および畳敷きの待合室が備えられている。

旅客航路

伊是名村営フェリー「ニューいぜな」 - 屋我地島

近隣離島へのフェリー航路が就航している。いずれも離島側の自治体が運営しており母港もそちらにあるが、荒天時には運天港に避難する。

  • 伊是名村営フェリー
    • 運天港 - 伊是名島・仲田港
    • 毎日2往復、所要時間は55分[1]
  • 伊平屋村営フェリー
    • 運天港 - 伊平屋島・前泊港
    • 毎日2往復、所要時間は1時間20分[2]

かつての就航地


  1. ^ 島へのアクセス 伊是名村ホームページ”. 2019年9月23日閲覧。
  2. ^ アクセス情報 伊平屋村ホームページ”. 2019年9月23日閲覧。


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