諒闇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/25 01:57 UTC 版)
解説
儒教では『礼記』における父の死の3年、母の死の三年の服喪の期間を言うために、実は、現在の日本の天皇の即位の礼が先代天皇の数え年で崩御後3年目に行われるのも、この儒教「礼記」の観念によっている(ただし第125代天皇上皇明仁の即位の礼は昭和天皇崩御の翌年に行われた)。「論語」憲問篇によれば、殷の頃は君主が亡くなると新しい君主は「諒陰三年言わず」とあり、言葉を発することすら慎んだので万事を宰相が決裁していたとある。
日本においては、古代律令法の喪葬令や儀制令に天皇の服喪規定があるものの、3日間と短く、実際にはより長期の期間行われている。記録上確認できるのは、『続日本紀』に記された聖武上皇の母藤原宮子の死去の時(母親の事例)と同じく桓武天皇の父光仁上皇の崩御の時(父親の事例)に宮中行事が中止されたことが記されている。
関連項目
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