観世音寺
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現地情報
所在地
交通アクセス
- 鉄道
- バス
- 自家用車
- 九州自動車道太宰府インターチェンジから3.8㎞
周辺
脚注
参考文献
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- 井上靖・佐和隆研監修、江上栄子・石田琳彰著『古寺巡礼西国6 観世音寺』淡交社、1981年
- 『週刊朝日百科 日本の国宝』23号(福岡市博物館、観世音寺ほか)朝日新聞社、1997年
- 福岡県立九州歴史資料館『観世音寺』九州歴史資料館、2005-2007。全国書誌番号:21283909 。
- 猪川和子「観世音寺馬頭観音像造顕考」『美術研究』第190巻、1957年3月、21-29頁、CRID 1050282676660193536。
- 猪川和子「観世音寺馬頭観音像造顕考 追記」『美術研究』第204巻、1960年1月、35-35頁、CRID 1050282676660186752。
関連文献
- 『日本歴史地名大系 福岡県の地名』、平凡社
- 『角川日本地名大辞典 福岡県』、角川書店
- 『国史大辞典』、吉川弘文館
- 『福岡県の歴史散歩』山川出版社、1984年
- 森弘子『太宰府発見』海鳥社、2003年、ISBN 4-87415-422-0
- 高野澄『太宰府天満宮の謎』祥伝社、2002年、ISBN 4-396-31306-3
- 太宰府市 編『太宰府市史』平成16年
- 筑紫豊『さいふまいり』西日本新聞社、1976年
- 浦辺登『太宰府天満宮の定遠館』弦書房、2009年、ISBN 978-4-86329-026-6
- 五木寛之『百寺巡礼 第十巻 四国・九州』講談社 2005年(「第九十一番 観世音寺」)
- ^ 金堂本尊は阿弥陀如来(現在は宝蔵に安置)、講堂本尊は聖観音であるが、天台宗九州西教区のサイトにある観世音寺の紹介ページ 観世音寺によると、宗教法人観世音寺の規則上の本尊は、現在宝蔵に安置されている聖観音坐像(旧講堂本尊)であるという。なお、現在講堂に安置されているのは上述の聖観音坐像とは別の、立像の聖観音像である。また、上述のサイトによれば、創建当初の本尊は不空羂索観音で、平安時代後期に聖観音が本尊になった。
- ^ 九州歴史資料館(2006), p. 12.
- ^ 九州歴史資料館(2006), p. 18.
- ^ 九州歴史資料館(2006), p. 13.
- ^ 九州歴史資料館(2006), p. 26.
- ^ 九州歴史資料館(2006), p. 40.
- ^ 九州歴史資料館(2006), p. 72.
- ^ a b 九州歴史資料館(2006), p. 79.
- ^ 金堂内のかつての仏像安置状況の写真は『観世音寺大鏡』に掲載されている(参照:国立国会図書館デジタルコレクション、211コマなど)
- ^ 講堂内のかつての仏像安置状況の写真は『観世音寺大鏡』に掲載されている(参照:国立国会図書館デジタルコレクション、15コマなど)
- ^ 境内の説明は(九州歴史資料館(2006), p. 50-67)による。
- ^ 九州歴史資料館(2006), p. 70.
- ^ a b 九州歴史資料館(2006), p. 72-81.
- ^ a b 九州歴史資料館(2006), p. 75,80.
- ^ 九州歴史資料館(2006), p. 73.
- ^ a b 九州歴史資料館(2006), p. 75,80,81.
- ^ 猪川和子 1957, p. 2129.
- ^ 猪川和子 1960, p. 35.
- ^ 九州歴史資料館(2006), p. 75,81.
- ^ 九州歴史資料館(2006), p. 77.
- ^ 杉山洋『梵鐘』(『日本の美術』355号)、至文堂、1995、pp.20 - 23
- ^ 『国宝・重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録・名称総索引・統計資料)、毎日新聞社、2000
- ^ 五木寛之『百寺巡礼 第十巻 四国・九州』
- ^ 像内納入品のうち経典2巻は1994年、盗難に遭っている(文化庁文化財保護部監修『文化財保護行政ハンドブック 美術工芸品編』(ぎょうせい、1998)、p.128、による。)
- ^ 文化財>史跡(太宰府市ホームページ)。
- ^ 文化財>建造物(太宰府市ホームページ)。
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