菟道稚郎子 考証

菟道稚郎子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/16 23:50 UTC 版)

考証

10代から25代までの皇統譜

(10) 崇神
 
 
(11) 垂仁
 
 
(12) 景行
 
 
 
 
 
 
 
 
(13) 成務
 
 
(14) 仲哀
 
 
(15) 応神
 
 
 
 
 
 
 
 
(16) 仁徳菟道
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(17) 履中(18) 反正(19) 允恭
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(20) 安康(21) 雄略
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(24) 仁賢(23) 顕宗(22) 清寧
 
 
(25) 武烈

史書の菟道稚郎子に関する人物描写では、大山守皇子に対して謀略を用いる場面もあるものの、『日本書紀』の自殺の美談に特に顕著であるように、全般に儒教的な色彩が極めて濃いという評価がなされている[28]。また、母が和珥氏出身であること、「郎子」という特殊な呼称、天皇即位をほのめかす多くの表現等から、描写の特異性が指摘される[7]

これらについて、夭折(『古事記』)・自殺(『日本書紀』)という表現は潤色であるとし、仁徳天皇に攻め滅ぼされたとする説が古くより提唱されており、背景に和珥氏・葛城氏の争いがあったという意見がある[29]。この「仁徳天皇による謀殺説」には多くの説が従っているが[7][30]、中でもこの争いが記述された意味に対して、菟道稚郎子の物語は和珥氏の伝承が由来であって、郎子を顕彰するという和珥氏の要請を果たしつつも聖帝たる仁徳天皇の構築のために結び付けられた叙述であるという見方がなされてきている[31]

即位説

このように菟道稚郎子を仁徳天皇の脇役とする見方に対して、別の評価をする研究説がある。『古事記』では「郎子」が皇位継承者の「命」とは異なる用法(前述)である一方、天皇として即位していた扱いの表現もまた見られることから[注 6]、「皇統譜と並行してありえた天皇」であるとし、記紀に対して「記紀に記されなかった史実」の存在を指摘する研究がある[7]。似た事例としては「飯豊天皇」と称される忍海郎女(おしぬみのいらつめ)が見られ、描写法の関わりが考えられる[7]。またこの菟道稚郎子の記事により、皇統の父子継続から兄弟継続への変化(右図参照)が合理的に実現されているとも指摘される[32]

記紀以外では、『播磨国風土記』にある「宇治天皇」の記載に拠り、皇位に就いていたとする指摘がある。[33][34]


  1. ^ 壬申年は応神天皇41年(崩御時)の2年後で、仁徳天皇元年(即位時)の前年にあたる(いずれも『日本書紀』による)。
  2. ^ 他の3名は、応神天皇孫の大郎子(意富富杼王)、仁徳天皇皇子の波多毘能大郎子(大日下王・大草香皇子)、継体天皇皇子の大郎子(大郎皇子)。
  3. ^ ただし現在、宇治神社等においては郎子・命を重ね「菟道稚郎子命」という表記も見られる。
  4. ^ 日本書紀』によれば、百済から貢上された阿直岐王仁を師に典籍を学んだとされるが、これらの史実性は確かめえない[9]。そもそも、阿直岐王仁が実在したか否かは不明である[9]津田左右吉は、後人の造りごととしている[10][11]。一方、阿直岐王仁中国系百済人という指摘がある[12]
  5. ^ 宮阯は、宇治上神社(平凡社) & 1981年で宇治上神社、宇治(国史) & 1982年で宇治神社とする。
  6. ^ 出生以前から記す扱い、天下を譲られたという表現、「百官」「崩」という表現が指摘される (金澤 & 2007年)。
  7. ^ 『続日本紀』養老7年(723年)2月13日条、『続日本紀』天応元年(781年)正月15日条には、いずれも常陸国那賀郡大領として「宇治部直荒山」「宇治部全成」の名が見える。また、茨城県水戸市大井神社は郡領の宇治部氏の奉斎と伝えている(大井神社<茨城県神社庁>)。
  1. ^ a b c 『古事記』応神天皇記。
  2. ^ 『日本書紀』応神天皇紀。
  3. ^ a b 『山城国風土記』逸文「宇治」(『詞林采葉抄』所収)。 - 武田祐吉編『風土記』(岩波書店、1937年、国立国会図書館デジタルコレクション)139コマ参照。
  4. ^ a b c 『日本後紀』弘仁6年6月27条。
  5. ^ a b 『類聚国史』所収『日本後紀』逸文「渤海使」(天長3年3月1日条)。 - 『国史大系 類聚国史』(経済雑誌社、1913年、国立国会図書館デジタルコレクション)663コマ参照。
  6. ^ a b c 『続日本後紀』承和7年5月6日条。
  7. ^ a b c d e f 『先代旧事本紀』「天孫本紀」。 - 『国史大系 第7巻』(経済雑誌社、1897年-1901年、国立国会図書館デジタルコレクション)152コマ参照。
  8. ^ a b c 『延喜式』諸陵寮 宇治墓条。 - 『延喜式 第4』(日本古典全集刊行会、昭和4年、国立国会図書館デジタルコレクション)90コマ参照。
  9. ^ a b 『播磨国風土記』揖保郡大家里条。 - 武田祐吉編『風土記』(岩波書店、1937年、国立国会図書館デジタルコレクション)102コマ参照。
  10. ^ 『古事記』応神天皇記、『日本書紀』応神天皇2年3月条。
  11. ^ 『日本書紀』応神天皇15年8月条、応神天皇16年3月条。
  12. ^ 『日本書紀』応神天皇28年9月条。
  13. ^ 『日本書紀』応神天皇40年1月条。
  14. ^ 『日本書紀』仁徳天皇即位前条。
  15. ^ 『万葉集』巻9 1795番。 - 09/1795(万葉集検索システム<山口大学>)参照。「柿本朝臣人麻呂之歌集出」は1796番において、1795番1首と1796番4首の「右五首」に対する左注として記載のもの。
  16. ^ 『万葉集』巻1 7番。 - 01/0007(万葉集検索システム<山口大学>)。
  17. ^ 『新撰姓氏録』河内国 神別 宇治部連条、和泉国 神別 宇遅部連条。
  1. ^ a b 菟道稚郎子皇子(国史) & 1982年.
  2. ^ 井上満郎「宇治」(『日本古代史大辞典』大和書房、2006年)。
  3. ^ a b c 宇治(角川) & 1982年.
  4. ^ 『宇治市史 1』(宇治市役所、1973年)pp. 204-205。
  5. ^ 宇治市(平凡社) & 1981年.
  6. ^ 南方熊楠「兎に関する民俗と伝説」(『十二支考』岩波文庫、1994年、青空文庫より(大正四年一月、『太陽』21巻1号))。
  7. ^ a b c d e f g h i j 金澤 & 2007年.
  8. ^ 太田亮『姓氏家系大辞典』(角川書店、1963年)「宇治部」 11 宇治部連項。
  9. ^ a b 阿直岐』 - コトバンク
  10. ^ 斎藤正二『日本的自然観の研究 変容と終焉』八坂書房斎藤正二著作選集4〉、2006年7月1日、129頁。ISBN 978-4896947847 
  11. ^ 菅原信海『日本思想と神仏習合』春秋社、1996年1月1日、24頁。ISBN 978-4393191057 
  12. ^ 馬渕和夫、出雲朝子『国語学史―日本人の言語研究の歴史』笠間書院、1999年1月1日、17頁。ISBN 978-4305002044 
  13. ^ 訓読・仮名の解釈は、小島憲之ほか校注・訳『日本書紀 2』(小学館、1996年)による。
  14. ^ 訓読・仮名の解釈は、倉野憲司校注『古事記』(岩波文庫、1963年)による。
  15. ^ 小島憲之ほか校注・訳『萬葉集 三』(小学館、1978年)pp. 433-434。
  16. ^ 宇治神社(平凡社) & 1981年.
  17. ^ 小島憲之ほか校注・訳『萬葉集 一』(小学館、1978年)p. 68。
  18. ^ 宮内省諸陵寮編『陵墓要覧』(1934年、国立国会図書館デジタルコレクション)10コマ。
  19. ^ a b c d e f 宇治墓(国史) & 1982年.
  20. ^ 『陵墓地形図集成 縮小版』 宮内庁書陵部陵墓課編、学生社、2014年、p. 403。
  21. ^ 宇治墓(平凡社) & 1981年.
  22. ^ 莵道稚郎子伝説(【2007年1月19日掲載】 京都新聞)。
  23. ^ 『日本後紀 中 全現代語訳』(講談社学術文庫、2006年)p. 372。
  24. ^ a b 喜田貞吉「火葬と大蔵 -焼屍・洗骨・散骨の風俗-」初出:「民族と歴史 第三巻第七号」1919(大正8)年6月(『先住民と差別 -喜田貞吉歴史民俗学傑作選-』河出書房新社、2008年、青空文庫より)。
  25. ^ 中山太郎『本朝変態葬礼史』初出:「犯罪科学 増刊号 異状風俗資料研究号」1931(昭和6)年7月(河出書房新社、2007年、青空文庫より)。
  26. ^ 『続日本後紀 上 全現代語訳』(講談社学術文庫、2010年)p. 348。
  27. ^ a b 仁藤敦史 「記紀から読み解く、巨大前方後円墳の編年と問題点」『古代史研究の最前線 天皇陵』 洋泉社、2016年、pp. 13-16。
  28. ^ 『宇治市史 1』(宇治市役所、1973年)p. 210。
  29. ^ 神田秀夫による説 (金澤 & 2007年より)。
  30. ^ 三浦佑之『口語訳 古事記 完全版』」(文藝春秋、2002年) p. 248 注(40)。
  31. ^ 吉井巌による説(金澤 & 2007年より)。
  32. ^ 金澤和美「ウヂノワキイラツコと「古代」」の博士論文要旨 (昭和女子大、2009年)。
  33. ^ 菟道稚郎子(古代氏族) & 2010年.
  34. ^ 太田亮『姓氏家系大辞典』(角川書店、1963年)「宇治部」 1 山城の宇治部項。
  35. ^ a b c d 宇治部氏(古代氏族) & 2010年.
  36. ^ 国史大辞典』(1980年)名代・子代項の「御名代部名一覧(ほぼ確かなものに限る)」表に記載がないことに基づく。
  37. ^ 宇治氏(古代氏族) & 2010年.






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