菅原寛孝 人物・交友関係

菅原寛孝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/21 02:43 UTC 版)

人物・交友関係

2005年6月、国際技術勧告委員会にて
小柴昌俊
1979年、高エネルギー物理学研究所物理研究系教授だった菅原は、東京大学理学部教授の小柴昌俊に「陽子の寿命に関するワークショップをやりたいので、いい実験案があったら提案してほしい」[18]と話しかけた。この菅原の依頼をきっかけに、小柴はカミオカンデの構想を閃いたという[18]。後年、小柴がノーベル物理学賞を受賞した際には、祝賀会に駆けつけ祝辞を述べている[19]
小林誠、益川敏英
小林誠益川敏英が提唱した「小林・益川理論」に早くから着目しており、その論文を日本国外に熱心に紹介した一人として知られている。この理論は発表当初あまり注目されていなかったが、この理論を岩崎洋一から紹介された菅原が、日本国外の物理学者らにも紹介した[20]。しかし、国外からの反応もあまり芳しいものではなかったことから、菅原はサンディップ・パクバサとともに論文や講演を通じてこの理論を熱心に紹介するなど、学術界での認知度向上に力を尽くした[20]。理論を発表した当時の状況について、益川は自身の論文が「ほとんど無視」[20]されていたと述べている。そのうえで、益川は「菅原先生は、2つくらいしか違わないんだけど、大学ぐらいの時かな、アメリカに留学されて活躍されていたもんだから、当時じゃ大変有名な先生だった。その先生が、紹介して下さったということでまあ、公知され、少しずつリファレンスは増えていった」[20]と述懐しており、菅原らの活動によって小林・益川理論が認知されたと語っている[21]。小林と益川がノーベル物理学賞を受賞した際、かつて彼らと研究をともにした経験を持つ愛知大学名誉教授坂東昌子は「この論文がここまで評価されたのは、菅原寛孝さんの貢献も大きかった」[22]と指摘し「多くの研究者が『新粒子なんて…』という中で、KM論文の価値を見抜き海外に紹介した菅原さんの見識眼に尊敬の念を禁じえません」[22]と評している。
また、小林誠とは、高エネルギー加速器研究機構や沖縄科学技術大学院大学などで、ともに活動した仲である。
根岸英一
2010年パデュー大学特別教授の根岸英一ノーベル化学賞を受賞した際、在シカゴ日本総領事公邸にて祝賀式典と晩餐会が催された[23]。当時、日本学術振興会ワシントン研究連絡センターにてセンター長を務めていた菅原も夫婦で駆けつけ、在シカゴ総領事久枝譲治や来賓の南部陽一郎らとともに根岸の受賞を祝っている[23]
外村彰
外村彰とは、沖縄科学技術大学院大学でともに勤務した同僚であった。外村が教授在任中に亡くなった際には、上級副学長のロバート・バックマンや大学の設置者である「学校法人沖縄科学技術大学院大学学園」の評議員を務める小林誠らとともに告別式に参列している[24]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae 「菅原寛孝氏と尾崎敏氏が瑞宝中綬章を受賞」『菅原寛孝氏と尾崎敏氏が瑞宝中綬章を受賞 | KEK高エネルギー加速器研究機構2013年5月13日アーカイブ 2013年10月19日 - ウェイバックマシン
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 菅原寛孝学長特別顧問(ディスティングィッシュトプロフェッサー)業績概要』。
  3. ^ a b Hirotaka Sugawara, "A Field Theory of Currents", Physical Review, Vol.170, Issue 5, American Physical Society, 1968, pp.1659-1662.
  4. ^ a b c "HIROTAKA SUGAWARA", Bio.Hirotaka Sugawara, JSPS Washington Office.
  5. ^ a b 「高エネルギー加速器研究機構菅原寛孝前機構長」『キッズサイエンティスト【研究者にインタビュー】高エネルギー加速器研究機構
  6. ^ a b c 「学歴」『菅原 寛孝 | The Graduate School | OIST Groups沖縄科学技術大学院大学
  7. ^ 博士論文書誌データベース
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 「主な職歴」『菅原 寛孝 | The Graduate School | OIST Groups沖縄科学技術大学院大学
  9. ^ 「学会役員等」『菅原 寛孝 | The Graduate School | OIST Groups沖縄科学技術大学院大学
  10. ^ 「沿革」『沿革 | KEK高エネルギー加速器研究機構
  11. ^ 「小林・益川理論――Bファクトリー実験が果たした役割」『KEK:ノーベル賞(Bファクトリー実験)高エネルギー加速器研究機構
  12. ^ a b 「実験の目的」『K2K つくば-神岡間 長基線ニュートリノ振動実験東京大学宇宙線研究所
  13. ^ 「実験の成果」『K2K つくば-神岡間 長基線ニュートリノ振動実験東京大学宇宙線研究所
  14. ^ Shawna Williams, "The Innovative Academic: OIST Welcomes Hirotaka Sugawara". The Innovative Academic: OIST Welcomes Hirotaka Sugawara | Okinawa Institute of Science and Technology Graduate University OIST, Okinawa Institute of Science and Technology Graduate University, April 17, 2012.
  15. ^ 「名誉教授」『名誉教授|データブック|大学概要|国立大学法人 総合研究大学院大学総合研究大学院大学2015年4月1日
  16. ^ 「これまでの受賞者とその業績」『仁科記念賞』仁科記念財団。
  17. ^ 「第40回(平成11年度)〜31回(平成2年度)」『東レ科学技術賞受賞者一覧 | 東レ科学技術賞│CSR・環境│TORAY 東レ
  18. ^ a b 橘由里香「研究者・企業家・教育者――3つの顔を持つ小柴昌俊の人物とその思考」田賀井篤平編『ニュートリノ』東京大学総合研究博物館2003年
  19. ^ 梶田隆章「小柴先生ノーベル賞受賞記念祝賀会」『ICRRニュース』50号、東京大学宇宙線研究所2003年3月3日、1頁。
  20. ^ a b c d 杉本茂樹「益川敏英教授に聞く」『IPMU News』11号、東京大学数物連携宇宙研究機構2010年9月、44頁。
  21. ^ 益川敏英山中伸弥『「大発見」の思考法――iPS細胞 vs. 素粒子』文藝春秋2011年、116頁。(表紙は山中、益川の順で表記されているが、奥付は益川、山中の順で表記)
  22. ^ a b 坂東昌子「小林さんのすごさと本物を見抜く目」『総研大ジャーナル』特別号、総合研究大学院大学2008年12月、20頁。
  23. ^ a b 「根岸英一パデュー大学特別教授ノーベル化学受賞祝賀式典及び晩餐会」『根岸英一パデュー大学特別教授ノーベル化学受賞祝賀式典及び晩餐会(2010年11月12日)』在シカゴ日本国総領事館、2010年11月12日
  24. ^ Robert Baughman, "Akira Tonomura (1942-2012)", Akira Tonomura (1942-2012) | Okinawa Institute of Science and Technology Graduate University OIST, Okinawa Institute of Science and Technology Graduate University, May 21, 2012.


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