小林誠、益川敏英
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 04:54 UTC 版)
小林誠と益川敏英が提唱した「小林・益川理論」に早くから着目しており、その論文を日本国外に熱心に紹介した一人として知られている。この理論は発表当初あまり注目されていなかったが、この理論を岩崎洋一から紹介された菅原が、日本国外の物理学者らにも紹介した。しかし、国外からの反応もあまり芳しいものではなかったことから、菅原はサンディップ・パクバサとともに論文や講演を通じてこの理論を熱心に紹介するなど、学術界での認知度向上に力を尽くした。理論を発表した当時の状況について、益川は自身の論文が「ほとんど無視」されていたと述べている。そのうえで、益川は「菅原先生は、2つくらいしか違わないんだけど、大学ぐらいの時かな、アメリカに留学されて活躍されていたもんだから、当時じゃ大変有名な先生だった。その先生が、紹介して下さったということでまあ、公知され、少しずつリファレンスは増えていった」と述懐しており、菅原らの活動によって小林・益川理論が認知されたと語っている。小林と益川がノーベル物理学賞を受賞した際、かつて彼らと研究をともにした経験を持つ愛知大学名誉教授の坂東昌子は「この論文がここまで評価されたのは、菅原寛孝さんの貢献も大きかった」と指摘し「多くの研究者が『新粒子なんて…』という中で、KM論文の価値を見抜き海外に紹介した菅原さんの見識眼に尊敬の念を禁じえません」と評している。
※この「小林誠、益川敏英」の解説は、「菅原寛孝」の解説の一部です。
「小林誠、益川敏英」を含む「菅原寛孝」の記事については、「菅原寛孝」の概要を参照ください。
- 小林誠、益川敏英のページへのリンク