石川総般 石川総般の概要

石川総般

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/12 16:57 UTC 版)

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石川総般
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 宝暦7年(1757年
死没 享和2年11月17日(1802年12月11日
改名 善之助
戒名 統正院殿総般日理大居士
墓所 東京都北区田端の大久寺
官位 従五位下、中務少輔
主君 徳川家斉
常陸下館藩
氏族 石川氏
父母 父:石川総候、母:某氏
養父:石川総弾
兄弟 総候の子:総孝、金八郎、総賢
総弾、清之助、総般
娘(土方雄年室)、阿きく(水野忠実室)、娘、娘(石川総彬室)
娘(水野元貞室)、総承総安
娘(石川総功室)、娘(石川総集室)
娘(石川成伊室)
養子:総親
養女:娘(総弾の娘、総親室)
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生涯

宝暦7年(1757年)、第3代藩主・石川総候の五男として誕生する。寛政7年7月(1795年8月)、兄で先代藩主である総弾の養嗣子となり、総弾の死去により同年9月5日(10月17日)に家督を継いだ。同月15日(10月27日)に将軍徳川家斉に拝謁し、同年12月17日(1796年1月26日)に従五位下・中務少輔に叙任した。享和2年11月17日(1802年12月11日)、死去した。越後長岡藩主・牧野忠精の次男・総親が、先代総弾の娘で総般が養女とした娘の婿となり、家督を継いだ。






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