石川総陽とは? わかりやすく解説

石川総陽

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/01 02:05 UTC 版)

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石川 総陽
時代 江戸時代中期
生誕 元禄6年(1693年
死没 延享元年4月10日1744年5月21日
別名 六五郎、図書・内膳、伊要・教賢
戒名 清徳院殿播州太守淨譽圓眞祐山大居士
墓所 東京都北区田端の大久寺
官位 従五位下、播磨
常陸下館藩
氏族 大久保氏石川氏
父母 父:大久保忠増、母:向井氏
養父:石川総茂
兄弟 大久保忠方総陽
宇津教保、宇津教逵、岩姫(松平定逵室)
養子:総候
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石川 総陽(いしかわ ふさはる)は、常陸下館藩の第2代藩主。伊勢亀山藩石川家分家4代。

生涯

元禄6年(1693年)、相模小田原藩主・大久保忠増(藩祖石川総長の従兄の子)の七男として誕生した。正徳3年4月9日(1713年5月3日)、先代藩主・石川総茂の養嗣子となって総陽と名を改め、同月13日(5月7日)に将軍徳川家継に拝謁し、同年12月21日(1714年2月5日)に従五位・播磨守に叙任した。

享保18年9月16日(1733年10月23日)の総茂の死去により、同年11月4日(12月9日)に遺跡を継ぎ雁間詰となる。元文5年10月7日(1740年11月25日)、養嗣子の総候に家督を譲って隠居し、延享元年(1744年)4月10日に52歳で死去した。





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