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石川総詳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/19 23:39 UTC 版)

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石川総詳
時代 江戸時代中期
生誕 寛延3年1月11日1750年2月17日
死没 文化9年11月28日1812年12月31日
別名 山平
戒名 更雨院殿新好日敷
墓所 東京都北区田端の大久寺
幕府 江戸幕府 旗本
主君 徳川家治家基徳川家斉
氏族 石川氏(本姓:清和源氏
父母 父:石川総共、母:某氏
兄弟 某、総詳、阿ふみ(堀知秀室)
阿喜代(津田信之室)、阿政、宗兵衛
官八郎、大助、阿みち(谷口正成室)
正室:林信言の娘
養子:総朋
総功

石川 総詳(いしかわ ふさあき)は、江戸時代中期の旗本。総氏系石川家(保久石川家)5代。

生涯

寛延3年1月(1750年2月)石川総共の次男として誕生した。宝暦13年9月1日(1763年10月7日)将軍徳川家治に拝謁し、家治嫡子家基に近侍する。明和9年2月29日(1772年4月1日)林信言の次女と婚姻し、安永4年12月6日(1775年12月28日)遺跡を継ぐ。寛政6年閏11月17日(1795年1月7日)致仕する。文化9年11月28日(1812年12月31日)築地萬年橋の屋敷にて死去した。

天明元年(1781年)総詳が支配する保久石川家領地三河国加茂郡羽布村(現愛知県豊田市羽布町)が同国設楽郡黒瀬村(現愛知県新城市作手黒瀬)他2村に対して山論の訴えを行ったことが資料として残されており、当時盛んに発生した山論争議の貴重な資料となっている[1]

脚注

  1. ^ 「司法資料 別冊 第19号 (裁許留)」 「96 三州羽布村と同国黒瀬村外弐ヶ村、山出入」の項(司法省秘書課 1943年)

参考文献

関連項目




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