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石川総朋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 07:50 UTC 版)

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石川 総朋
時代 江戸時代中期
生誕 正徳2年(1712年
死没 安永2年5月17日1773年7月6日
別名 金之丞・亀之助、左門
戒名 圓覚院殿日中
墓所 東京都北区田端の大久寺
幕府 江戸幕府 旗本
主君 徳川吉宗家重家治
氏族 大久保氏石川氏
父母 父:大久保総比、母:某氏
兄弟 総朋、阿てる(石河政武室)、某、石川総共
総候常陸下館藩石川総陽養子)
阿ふう(今大路道三室)、総胤、銀七郎
娘(神尾元経室)、細井勝名(細井勝尚養子)
総相、娘
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石川 総朋(いしかわ ふさとも)は、江戸時代中期の旗本。忠明系石川家(大久保家)3代。大久保の家号を石川と改めた。

生涯

正徳2年(1712年)大久保総比の長男として誕生した。享保13年12月7日(1729年1月6日)将軍徳川吉宗に拝謁し、父死去に伴い享保15年9月2日(1730年10月13日)家督を継いだ。享保17年閏5月2日(1732年6月23日)弟石川総共が旗本である保久石川家の家督を継ぎ、元文元年2月25日(1736年4月5日)には弟総候が本家筋にも当たる常陸下館藩の養嗣子となった。なお、総共養子入り直後の享保17年11月7日(1732年12月23日)、家号を石川に改めた。明和元年8月13日(1764年9月8日)致仕し、安永2年5月17日(1773年7月6日)死去した。長男石川総相が家督を継いだ。

参考文献

関連項目




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